海外文学読書録

書評と感想

早川千絵『PLAN 75』(2022/日=仏=フィリピン=カタール)

PLAN75

PLAN75

  • 倍賞千恵子
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★★★

国会で「PLAN 75」が可決、75歳以上は自発的に自死を選択できるようになった。78歳の角谷ミチ(倍賞千恵子)はホテルの清掃員をしていたが、高齢のために解雇される。身寄りのない彼女は「PLAN 75」を申請することに。また、市役所で「PLAN 75」を担当する岡部ヒロム(磯村勇斗)、「PLAN 75」のサポート業務をしている成宮瑶子(河合優実)、フィリピンから単身出稼ぎに来ているマリア(ステファニー・アリアン)にもそれぞれドラマがあり……。

ぬるい映画だったが、ぬるいおかげで精神的ダメージはあまりなかった。これが良いことなのか悪いことなのかは分からない。ただ、個人的にはディストピアがもたらす不安や恐怖を覚悟していたので、正直言って拍子抜けだった。

「PLAN 75」はあくまで選択肢のひとつである。しかし、身寄りのない貧困層はそれを選択するためのメリットが大きい。高齢で就職先がないし、生活保護を受けるのにも申し訳なさがある。だったら終活するしかない。「PLAN 75」なら一時金として10万円を支給してくれるうえ、スタッフが親身になってサポートしてくれる。貧困層の福祉としてはなかなか魅力的だ。政府の目論見はあくまで口減らしだが、印象としてはそれがやわらかくソフィスティケートされている。形の上では強制ではない。選択肢のひとつとして提示されているだけだ。しかし、肩身の狭い思いをしている人たちは罪悪感からそこに吸い込まれていく。

本作の恐ろしさは人間がシステムにあっさり適応してしまうところだろう。口減らしのための安楽死制度というのは心理的にハードルが高い。最近も成田悠輔が「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」と発言したが、世間の反発は大きかった。ところが、一旦システムとして安楽死制度が確立されるとみんなすんなり受け入れてしまう。当の高齢者が自発的に集団自決や集団切腹を行うようになってしまう。結局のところ、人間は国家が決めたシステムの枠内で生きていくしかないのだ。資本主義国家では資本主義国家のルールで生きていくし、社会主義国家では社会主義国家のルールで生きていく。最近ではコロナ禍によって社会のシステムが大きく変更された。マスクの着用が半ば義務化され、ソーシャルディスタンスが推奨された。多くの日本人はそれを受け入れ適応している。この調子なら安楽死制度もすんなり受け入れるだろう。そういう意味ではなかなか切実である。

冒頭で高齢者へのヘイトクライムが示される。犯人が「増えすぎた老人はこの国の財政を圧迫し、そのしわ寄せを若者が受けている」と述懐しているが、これが相模原障害者施設殺傷事件を連想させて興味深い。犯人の植松聖は「意思疎通のできない人間は生きる価値がない」として殺害に及んでいる。両者は社会の足を引っ張る弱者を私的に間引いているわけだ。「PLAN 75」はそれを国家が代行するものである。ただ、そのわりに制度としては腰砕けで、高齢者の自発性に任せたり、いつでも中止できたりするのはぬるすぎる。もう少し圧迫感が欲しかった。