海外文学読書録

書評と感想

コラム・マッキャン『ゾリ』(2006)

★★★★★

1930年代。ジプシーの少女ゾリはスロヴァキアで家族をファシストに殺され、祖父のジージに育てられることになった。ゾリは少女時代にジプシーではタブーとされる読み書きをおぼえる。そして戦後、スロヴァキアは社会主義国家に生まれ変わった。ゾリは革命詩人のストラーンスキーと翻訳家のスワンと出会い、詩人としてプロデュースされることになる。しかし、そこから運命が激変していくのだった。

大昔から今にいたるまで、いったいどうしてあの連中の大半があたしたちのことを目の敵にしてきたのか、あたしにはわからない。かりにその理由を説明できたとしたって、ことばにしちまったが最後、話は単純になりすぎちまうだろう。あの連中はあたしたちのべろを切って、しゃべれないようにしたうえで、あたしたちに答えを言わせようとしたんだよ。(p.274)

ジプシー×社会主義国家という困難な題材に挑んでいる。著者は3年後にはまったく作風がまったく異なる『世界を回せ』で全米図書賞を受賞しているし、現代文学の作家の中でもトップクラスではないか。残りの著作も早く翻訳されてほしい。

本作の優れているところは語り口で、特にゾリの一人称パートはジプシーの一筋縄ではいかない性格を上手く表している。ジプシーとは我々からしたら遠い存在で、どうしても外側から見たイメージで理解しがちである。たとえば、隙あらば人の物を盗むとか、巧みに嘘をついて騙してくるとか、不衛生で変な臭いがするとか。もちろん、これはこれでジプシーの一面を表しているのだけど、しかし、まだまだ氷山の一角にすぎない。本作はそんな理解不能な他者に声を与え、従来人間以下と見なされていた者たちを同じ人間として土俵にあげている。激動のストーリーも去ることながら、ゾリの狷介にしてバイタリティ豊かな語りが魅力で、そのディテールこそが本作の持ち味になっている。

社会主義国家では芸術が容易に政治と結びつく。芸術によって名声を手に入れることもあれば、一転して銃殺刑に処されることもある。ジプシーの芸術は元来「口承文学」と呼ばれるものであり、ゾリの歌を文字にすることはまったく新しい芸術様式を作るのと同義だった。まだ誰もやってない試みだからこそ、文壇の寵児になる可能性がある。実際、ゾリは従来顧りみられなかった階層から出現した新しいタイプの女性として、社会主義下で躍進するチェコスロヴァキアを象徴する人間像とみなされた。彼女の活躍によってジプシーが注目されるも、悪いことにそれが政府による定住化政策に利用されることになる。定住化とはつまり同化だ。多様性を許さない同化。結局、物事は最悪の方向に転がり、ゾリはジプシーのコミュニティから追放されてしまう。ジプシーの詩人とは、国家レベルでも共同体レベルでも異端であり、両者の力学が衝突することでゾリはアイデンティティを剥奪されてしまうのだ。ケガレのレッテルを貼られて何もかもが失われる。この辺、中心と周縁の普遍的な問題として注目に値する。

オーストリアの難民キャンプで目覚めたゾリが、看護婦たちに体を洗われるエピソード。これは東側から西側へ抜けるための生まれ変わりの儀式だろう。キリスト教の洗礼みたいなものである。とはいえ、ここにも同化の罠が潜んでおり、ゾリはそれを嫌って一風変わった余生を送ることになる。終盤では思わぬ人物との再会もあり、波乱万丈の物語として満足感のある締めくくりだった。