海外文学読書録

書評と感想

ニコラス・レイ『夜の人々』(1948/米)

★★★

刑務所で服役していたボウイ(ファーリー・グレンジャー)が仲間2人と脱獄する。彼は15歳のとき殺人罪で収監され、7年間臭い飯を食ってきた。ボウイは恩赦を求めるべく弁護士を雇いたい。その金を捻出するため仲間と銀行強盗をする。アジトでキーチ(キャシー・オドネル)と出会ったボウイは彼女と結婚するが……。

原作はエドワード・アンダーソン『Thieves Like Us』【Amazon】。

フィルム・ノワール。アメリカの自然主義文学みたいだった。

アメリカ文学者の諏訪部浩一は『ノワール文学講義』【Amazon】で次のように書いている。

多少なりとも図式的に整理すると、自然主義といえば「遺伝」と「環境」によって人間が支配されると決まっていわれるが、アメリカ文学においては概して「環境型」の自然主義が発展した。(p.41)

また、英文学者の藤井光は『勇気の赤い勲章』の解説で次のように書いている。

クレインはアメリカにおける自然主義文学の代表的作家と言われている。小説において「人生」のありのままを見つめようと試みるなかで、彼は「環境」が人間の行動や、ひいては人生そのものを決定していくさまを描き出した。

もちろん、ヨーロッパではそれに先立ち、エミール・ゾラを筆頭とする自然主義文学が大きな影響を与えていた。ダーウィンの進化論による、自然とは遺伝や環境の力によって決定されているのであり、人間も例外ではないという同時代の思想が、自然主義の大きな原動力となっている。ゾラはみずからが登場人物たちを描写する手つきを死体を解剖する外科医になぞらえ、文学は社会科学であるとも述べた。

そして、本作はまさしく環境型の自然主義文学だ。15歳で殺人を犯したボウイは、父親を喧嘩で殺された過去を持つのである。しかも、父を殺した相手は母親を寝取っていた。その事件がボウイにどう影響したのかは分からないが、犯罪を誘発する環境だったのは間違いない。ボウイは殺人を犯し、7年間服役した後に仲間と脱獄する。ところが、脱獄してからの行動が支離滅裂だった。

というのも、彼は弁護士を雇うための費用を銀行強盗で賄おうとしているのである。どうやら少年犯罪には恩赦が下るらしい。だったら自分も弁護士に依頼すればそうなるはずだ。ボウイはそう考えるが、そもそも彼は脱獄囚であるうえ、仮に弁護士を雇ったとしてもそれは銀行強盗で得た金を元にしている。恩赦など下るはずもなく、刑務所に逆戻りなのは火を見るより明らかだ。しかし、若いボウイはその陥穽に気づかない。弁護士を雇えば未来が開けると信じている。このロジックが我々には理解できない。

また、官憲に追われていることに気づいたボウイは旧知の女を頼る。ところが、その女はかねてからボウイを嫌っていた(ボウイもそのことを知っていた)。結果的にはその女と接触したことでボウイは悲劇に見舞われることになる。彼は頼ってはいけない女を頼ってしまったのだ。このようにボウイは頭が回らない。はっきり言えば短慮である。しかし、彼がこうなったのも環境が原因なのだ。ろくに教育を受けてないうえ、青春の大事な時期を刑務所で過ごした。世間知を学習する機会がなかった。一般人より短慮なのは当然だろう。頭の悪い人間が頭の悪い行動をとって悲劇的な末路を迎える。本作はフィルム・ノワールであるが、同時にアメリカの自然主義文学でもある。

ヒロインのキーチがまともな一般人であるところがいい。いわゆるファム・ファタールではないのだ。彼女には世間知があるし、まっとうな倫理観もその世間知に支えられている。フィルム・ノワールでこのようなヒロインが出てくるのも珍しいのではなかろうか。劇中では無謀なことをしようとするボウイを諌めている。彼女の常識人ぶりが魅力的だった。