★★★
ニューヨーク。スリを生業としているスキップ(リチャード・ウィドマーク)が地下鉄でキャンディ(ジーン・ピーターズ)のバッグから財布を抜き取る。キャンディは弁護士のジョーイ(リチャード・カイリー)に頼まれてマイクロフィルムの運び屋をしていた。財布にはそれが入っているためキャンディは慌てる。一方、ジョーイは共産主義のスパイであり、フィルムは国家機密を収めたものだが、キャンディはその事実を知らない。スキップは警察とスパイ組織に目をつけられる。
フィルム・ノワール。
共産主義の組織が明確な敵とされていて時代を感じた。当時は赤狩りがハリウッドを席巻していたから無理もないのだろう。下手に中立的な描写をしたらたちまちパージされてしまう。とはいえ、現代人が見ると違和感があるのは確かで、犯罪者も一般人もこぞってアカを敵視し、売国奴なんて言葉を使うところにどん引きした。結局、自由の国アメリカも自由でなかったのだ。自由を享受できたのは特定の人種かつ特定の思想を持った者であり、また経済的に恵まれた階層である。国民の大多数は不自由な生活を強いられていた。やはり思想の自由がないところが一番のネックで、特定の思想の持ち主を弾圧して公職から追放するなんて言語道断である。当時のアメリカは同時代の日本よりも野蛮だった。我々はその事実を噛みしめる必要がある。
スキップは前科3犯のスリである。あと1回逮捕されて有罪になったら終身刑になる身の上だ。彼は反社会的な性格をしており、刑事を前にしても動じない。相手が取引を持ちかけてきても信用しないし、証拠がないことをいいことに舐めた態度をとっている。言ってみれば筋金入りの犯罪者であるが、憎むべき悪ではない。彼は環境が原因で闇落ちした小悪党であり、相対的には共産主義のスパイのほうが巨悪である(共産主義のスパイは売国奴なのだ)。だからスキップにはヒーローの資格がある。キャンディとのロマンスは唐突すぎて訳が分からなかったが、当局を手玉に取りつつジョーイと対決する流れはよく出来ている。スキップの反社会性を殺さず、収まるべきところに収まる脚本が良かった。
アクションシーンは最近の映画に比べると質素だが、総じて暴力の生々しさが伝ってくるような作りである。女性にも容赦なく暴力が降り掛かっていて、PCに毒された21世紀からは考えられない絵面だ。また、クライマックスはスキップとジョーイの直接対決である。地下鉄の構内で殴り合いをするシーンは古き良き日活アクションのようで眼福だった。こういうシーンは派手な演出にするとかえって嘘臭くなる。獣同士が取っ組み合う生々しさが現代人にとっては新鮮だった。
俳優で良かったのはモー役のセルマ・リッターで、善悪の境界で生きる老婆を好演している。彼女は金のために仲間を売るが、相手の命に関わる場合は売らない。脅されても口を割らず、銃撃によって敢えない最後を遂げている。殺される前に生活の労苦を述べるところは名演だった。なおこのシーン、銃撃のときにカメラを動かしてレコードを映すところが粋である。見せない演出とはこういうものかと感心した。