海外文学読書録

書評と感想

デイヴィッド・ミッチェル『クラウド・アトラス』(2004)

★★★

天才音楽家リチャード・フロビシャーによって作曲された『クラウド・アトラス六重奏曲』をイメージした全6章。19世紀の航海記「アダム・ユーイングの太平洋航海誌」、フロビシャーが1930年代に綴った手紙「ゼデルゲムからの手紙」、スリラー小説「半減期――ルイーザ・レイ最初の事件」、出版者の回顧録「ティモシー・キャヴェンディッシュのおぞましき試練」、企業支配のディストピアを描いた「ソンミ~451のオリゾン」、ポストアポカリプスの世界を舞台にした「スルーシャの渡しとそん後すべて」。

最近の冒険は、私を哲学者にした。夜には、ゆったりした永遠の時の中で川の流れが丸石を小さな砂利へと削る音以外は何も聞こえず、特に哲学的になる。私の思考はこのように流れる。学者たちは歴史の動きを見分け、文明の隆盛と没落を支配する規則へと系統立てていく。私の信念はしかしながら反対へと運ばれる。すなわち、歴史は規則など認めぬ。ただ結果だけなのだ。

何が結果を生むのか? 邪悪な行為と善良な行為である。

何が行為を生むのか? 信念である。(下 p.352)

全6章をそのままではなく、各章を半分に分けて折り返すように配置した実験的な構成(1章前半→2章前半→3章前半→4章前半→5章前半→6章→5章後半→4章後半→3章後半→2章後半→1章後半と進む)。各章の繋がりや小説の全体像は面白いものの、個々の章はあまり面白くなくて印象が悪かった。思うに、実験小説とは物語としての面白さを犠牲にして成り立っているところがある。形式が先に立つというか。とはいえ、21世紀の実験小説は20世紀のそれに比べると格段に読みやすいから救いがある。本作は一見すると無関係な章が緩やかに繋がり、明確な全体像を結ぶところに感心した。

本作で一貫しているのは、新自由主義に対する批判的な眼差しである。植民地支配の19世紀からポストアポカリプスの未来までを俯瞰することで、新自由主義がどのように発生し、どのような未来を形成し、どのような末路を迎えるのか、そのヴィジョンを提示している。新自由主義が企業支配のディストピアを作り、遂には文明を崩壊させるにまで至った。では、何が人類を新自由主義に駆り立てるのかと言えば、飽くなき欲望と利己主義である。そして、その萌芽は近代から現れていた。新自由主義の危険性は各章に散りばめられている。たとえば第6章では、人間の飢えが文明を生んだ反面、人間の飢えがそれを殺したと主張している。また第3章後半では、ビジネスに国を運営させて本当の能力主義社会を設立しようという不穏な価値観が出てくる。さらに第1章後半では、個人においては利己主義が魂を醜くし、人類においては利己主義が絶滅を意味すると示唆している。そして、新自由主義が科学と結びついたとき、人類にとって取り返しのつかないことが起きるのだった。第3章で中心的なモチーフになる原発が分かりやすい例で、こういうのは我々と無関係ではない。下手したらその片棒をかついでさえいる。本作にはゼロ年代の問題意識が織り込まれていて、今読むと懐かしい気分になる。

実験小説としてこだわりを感じたのが、未来を舞台にした第5章と第6章だ。ここは意図的に言葉を崩すことで、読者が状況を把握しづらいよう仕向けている。この章が分かりづらいのは、つまり、現代人にとって未来は想像の範囲を超えているからだろう。平安時代の人間が令和の世界について説明されても理解できないように、現代人は未来のことを理解できない。そのことを言葉によって表現したところが文学的だった。