海外文学読書録

書評と感想

ハン・ガン『回復する人間』(2012)

★★★★

短編集。「明るくなる前に」、「回復する人間」、「エウロパ」、「フンザ」、「青い石」、「左手」、「火とかげ」の7編。

彼女の口がふさがれるとき、フンザも口をふさがれた。

氷河が溶けた白っぽい水が白い血液のように排水管を流れているあいだ、

彼女が渇くと、フンザも渇いた。

彼女が汚されると、フンザも汚された。

彼女がつばを吐くと、フンザもつばを吐いた。(pp.112-113)

物語がどうこうというよりは、洗練された清潔感のある文章が好きかも。訳者の斎藤真理子はものすごい勢いでたくさんの翻訳小説を出しているのに、よく訳文のクオリティが落ちないなと感心する。さしずめ韓国文学界の柴田元幸といったところか。

以下、各短編について。

「明るくなる前に」。職場の先輩だったウニ姉さんが、弟の死をきっかけに世界各地を旅する。彼女はインドで死体が燃やされる光景を見る。死体は最後に心臓だけ残ってじりじり煮えていた。心臓というのは一般的には命を象徴する臓器で、すべてが燃えた後にそれが残って煮えているというのは実に意味深だ。こういう光景を見たら人生観が変わるかもしれない。先進国で行われる火葬は、死のイニシエーションとしてもっとも大切なものを覆い隠してしまったのではないか。ウニ姉さんの弟の死、インド人の死体、ウニ姉さんの死。本作には死が溢れている。

「回復する人間」。姉の葬儀で足を挫いたので韓方医院でお灸を据えたら酷い火傷を負った。病院でレーザー治療をする。さらに、自分と姉はどちらが冷たい人間だったのかを考える。僕にも兄弟がいるけど、劣等感とか嫉妬とか全然ないので、本作みたいなのはなかなか実感として分からない。まあ、大人になってお互い遠慮して距離を置いてる部分はあるね。ところで、東洋医学ってやっぱり駄目駄目なのでは。足首の捻挫は治せないし、姉の妊活でも悲惨なことになっているし。なぜ、西洋医学に駆逐されず残っているのか分からない。

エウロパ」。「僕」は学生時代に知り合ったイナと友人関係にある。イナはバツイチのミュージシャンだった。体は男・心は女の「僕」はイナに好意を抱いている。イナは「僕」を姉妹として扱う。そういえば、韓国の小説で性同一性障害の人物が出てくるの初めて読んだかも。あそこって兵役があるから生活するの大変じゃないかな。何となく社会的に許容されてないイメージがある(中国と混同してるか?)。なので、女装して歩くのは想像もつかない。

フンザ」。育児で困難を抱える女性が、フンザという見知らぬ辺境の土地を想う。ハン・ガンの小説って色々な外国のことが出てきて国際的だなあって思うんだけど、これって韓国がユーラシア大陸の国だからかな? 島国の日本とはだいぶ趣が違う。あと、知人に育児ノイローゼになった女性がいるのだけど、本作を読んでその人のことを思い出した。日本と同様、韓国も育児は女性がするものとされてるみたい。

「青い石」。画家の「私」が、遠い遠い「あなた」へ語りかける。「あなた」は血液の病気に罹っていて、昔から生きるのに難儀していた。「生命はいつも血の中から始まる」というフレーズが鮮烈だった。「あなた」が血液の病気に罹っているだけに尚更。ところで、1年1年老いていくのを見たいという感覚が僕には理解できないんだ。愛する人間が老いていくのを見ると、死に近づいてるなと思って寂しくなる。と同時に、自分の老いも自覚されて憂鬱になる。みんなそう思ってるから、アンチエイジングなんて無駄なことをしてるのでは? 不可避的な死から目を背けている。

「左手」。銀行の融資課で働くイ・ソンジンが、仕事でミスをして上司からパワハラを受ける。イは説教してくる上司の口を左手でふさぎ、周囲の人たちに引き剥がされる。会社帰り、学生時代に恋心を抱いていたソネと再会する。自分の体なのに左手がコントロールできなくて色々やらかすの、かなり病的な感じがしてぞっとした。左手がコントロールできないのと同様、イは不倫生活も家庭生活もコントロールできない。仕事もクビになったし、左手はすべてが上手くいかないことの象徴ではないか。

「火とかげ」。事故で左手が使えなくなった女性画家。彼女は夫によって勝手にアトリエの解約をされてしまう。女性は自分とは似てない女の顔を描いていたが、左手のほかに右手も悪化して絵が描けなくなっていた。写真を契機に10年前に少しだけ関わった男を思い出すのだけど、そんな彼とは永遠にすれ違っていたことが分かって、運命のいたずらとは酷いもんだねと思った。あと、結婚すると人間がすり減るっていうのはよく分かる。結婚は勢いでして、結婚生活は忍耐でする。こういうのは万国共通だろう。