海外文学読書録

書評と感想

王聡威『ここにいる』(2016)

ここにいる (エクス・リブリス)

ここにいる (エクス・リブリス)

 

★★★

夫のDVを受けた美君は6歳の娘・小娟を連れて家出し、知人の所持するマンションの部屋に移り住む。美君は自身の過去と現在、さらには関わってきた人たちについて語り、周囲の人物もまた美君について語る。当初、美君は夫からの連絡を待っていたが……。

それはそうと、この世界には本当は偶然なんてものはなくて、すべては意識的に起こるんじゃないかって思ってるんだ。一見無意識に思えるような出会いも同じで、そこには常に意識的な選択があるわけじゃない。目の前で携帯を使って話している彼らの会話だって全部ウソっぱちで、目的地までにはまだまだ距離があるくせに、電話口の相手に向かって、アアもうすぐ着くヨなんて言ってる。私がここで彼らとこうして出会ったのも偶然だって言えるかな? そんなことどうでもいっか。毎回家を出る度に思うことは、早く家に帰りたいってことだけ。(p.184)

2013年に起きた大阪市母子餓死事件をモチーフにしている。このニュースは台湾でも話題になったとか。僕はこの事件については記憶になかったので、軽くぐぐって調べてみたら、ただの無縁死ではなく、不可解な謎に包まれていた。こういう事件って普通だったらジャーナリストが取材してノンフィクションを書いているところだけど、この件に関しては作家が、しかも台湾の作家がフィクションに仕立てている。これはなかなか興味深い事象だと思う。日本の作家はいったい何をしているのか。

本作の面白いところは語りの手法で、基本的には美君の語りを主体にしつつ、彼女と関わりのある人物の語りを織り交ぜることで、美君の語りを相対化している。つまり、多数の人物の証言から、対象の人物像を浮かび上がらせているというわけ。我々は普段、語り手の自己申告をとりあえず信用しながら物語を読み進めているけれど、一人称の語り手はみな本質的に「信頼できない語り手」であり、そのことが語り手を複数設けることで明るみになっているのだ。もちろん、美君以外の語り手も「信頼できない語り手」であることに間違いない。彼らが見ているのはあくまで美君の一面でしかないし、それぞれ自分の都合のいいようにしか物事を語っていないから。内側から見た美君と外側から見た美君。危ういバランスで成り立つ語りの手法はとても刺激的だ。

美君は性格にやや難があって、認知の歪みもあり、読んでいて付き合いにくい人物だと思った。でも、考えてみたらこれくらいはその辺によくいるというか、上辺の丁寧さを剥ぎ取ったら人間なんてみなこんなものだろう。まあ、はっきり言って「普通の人」の範疇だよね。僕は美君よりもろくでもない人間を何人も知っているし、下手したら僕自身が美君よりもろくでなしだ。それに美君について語っている人たちも、美君と同レベルの付き合いにくい人物ばかりなので、人間というのはそれぞれ欠点を抱えながら生きていると言える。子供を除けば、本作には聖人君子が一人もいないところが特徴的で、これぞザ・リアリズムという感じがする。

本作は一般的な語りよりもより口語的というか、お喋りをするような感じで書かれている。これはTwitterを使って創作したことが影響しているらしい。確かにこれは「つぶやき」みたいで、独特の印象を与える語りだった。