海外文学読書録

書評と感想

ジュリア・フィリップス『消失の惑星』(2019)

★★★

カムチャッカ半島。ペドロパブロフスク・カムチャツキーで幼い姉妹が行方不明になった。警察の捜査は難航して姉妹の足取りが掴めない。地元では大きなニュースになり、人々の話題にのぼっている。事件の起きた8月から翌年の7月まで、様々な人物に焦点を当てながら描いていく。

チャンダーのキスは優しかった。ルースランのキスは性急で、煙草の味がする。ルースランの朝のキスも、酒をのんだあとのキスも、口論をしたあとのアイロンを押し付けられたような熱いキスも、クシューシャはすべて知っている。いいときのキスも、悪いときのキスも、クシューシャはその全部を愛していた。だが、チャンダーのキスは優しい。いつも変わらない。やわらかなキスだ。ふっくらした唇、なめらかな歯の感触、彼の舌を探し、やがて見つけ、安堵の息が漏れる。(p.122-123)

著者はアメリカの作家。ロシアに思い入れがあるらしい。

本作はカムチャッカ半島の人間模様をパノラマ風に捉えた小説で、連作短編集のような構成をとっている。各章では焦点人物がそれぞれ異なっていて、全体を通して決まった主人公は存在しない。登場人物もみな一見すると無関係そうだけど、実はゆるやかに繋がっており、話が進むにつれて地域共同体のネットワークが立ち上がっていく。小説としては姉妹の失踪事件で一本筋を通しつつ、登場人物の心境の変化や微妙な心の揺れを描いていて、部分の集積が全体を構成するところが現代文学らしかった。個人的には面白いエピソードが少なくて退屈だったけれど、やってることはなかなかいいんじゃないかと思う。

アイスランドを舞台にした『湿地』は、固有名詞だけ現地のもので肌合いは普通の欧米小説のように感じた。それに対して本作は、先住民族の問題やカムチャッカ半島の閉鎖性に触れているせいか、ちゃんと異国を舞台にしているような感覚があった。これは著者がアメリカ人であることが関係しているのだろう。現地の人間が見落としがちなドメスティックな事柄を、地域に根付いた特色としてテキストに織り込む。特に先住民族の風習に深く分け入り、彼らと白人との摩擦に目配りするところはよそ者ならではだ。その土地にしかない異質な部分に着目し、それを英米文化圏に紹介しようとするのは明らかに外部の視点だろう。そう考えると、作家が憧れを動機にして外国のことを書く行為にも意味があるのかもしれない。

もっとも印象に残っているのが十二月の章で、ここでは白人と先住民族の関係を描くと同時に、2人の男の間で揺れる女心も描いている。たとえ2人の男に惚れたとしても、一夫一婦制の社会ではどちらか片方を選ぶしかない。どちらが運命の相手なのか見定めなければならない。ここではその決断を理屈ではなく直感で下している。その様子が恋愛の奥深さを覗かせていて印象的だった。

数年前に娘が行方不明になった先住民族の女性。当時、警察はろくに捜索してくれなかった。しかし、そんな警察も今回行方不明になった姉妹のことは力を入れて捜索している。それは姉妹の母親が白人であり、なおかつ統一ロシア党の仕事をしているからだ。先住民族の女性はそう思い込み、姉妹の母親に詰め寄っていく。この場面も強く印象に残っていて、理不尽が新たな理不尽を生んでいるところがやりきれなかった。