海外文学読書録

書評と感想

ジッロ・ポンテコルヴォ『アルジェの戦い』(1966/伊=アルジェリア)

★★★

1950年代のフランス領アルジェリア。カスバを中心にアラブ人による抵抗運動が起きる。フランス政府は現地にマシュー将軍(ジャン・マルタン)を派遣。将軍は地下組織の指導者アリ(ブラヒム・ハギャグ)を追い詰めていく。その間、地下組織は爆弾テロやゼネストなどを行うのだった。

記録映画と錯覚するくらい硬派な内容だった。あまりに硬派ゆえに観てる間は退屈だったけれど、終わってみれば歴史的価値はあるなと納得してしまう。特にムスリムによるテロリズムは現代にまで通じる歴史の普遍性を感じさせる。

大国はテロリズムに対し、「テロとの戦い」と称して自分たちの正当性をアピールするけれど、しかし、テロとは持たざるものにとっては唯一の闘争手段であって、別に悪いことではない。たとえば第二次世界大戦時、ナチスに支配された地域ではパルチザンがゲリラ戦術を行っていた。テロとはその延長上の戦術である。独立を目指す運動家は、少ない戦力で大国が持つ圧倒的な軍事力に対抗しなければならない。この場合、テロ以外にどういう手段があるだろう。話し合い? それはナンセンスだ。「独立したい」と申し出て「はい、いいですよ」と応じる政府なんてこの世に存在しない。古今東西、独立は血を流して勝ち取るものなのだ。近い将来、日本が中国に侵略されたとして、独立を回復するにはどうすべきか。やはりテロによって血を流すしかないだろう。そう考えると、大国による「テロとの戦い」は相当なおためごかしであることが分かる。

フランス本国から派遣されたマシュー将軍は、第二次世界大戦時にはレジスタンス活動をしていた。それが今ではアルジェリアレジスタンス活動を抑え込む立場にいる。誰よりも独立の尊さを知っている将軍が、今度はその独立を阻んでいるのだ。これなんかは歴史の皮肉で、被害者が加害者に転じるというよくあるパターンを演じている。有名な例だと、イスラエルパレスチナの関係がこれに類するものだろう。ナチスによって迫害されていた人たちが今度は迫害する側に回った。これら二つの事例は、この世に正義もへったくれもないことを示している。

フランスの軍人がテロリストに拷問を加えているのを見て、真っ先にアメリカのことを連想した。アメリカの軍人がグアンタナモ収容所で同じことをやっていたのは周知の通りである。しかも、これは21世紀の話だ。やはり「テロとの戦い」は普遍的で、どの国も同じ道を辿るようである。

なお、アルジェリアは1962年に独立を果たした。本作のスタートが1954年なので、独立までに8年かかっている。長い戦いだった。