海外文学読書録

書評と感想

クリント・イーストウッド『運び屋』(2018/米)

★★★

園芸家のアール・ストーン(クリント・イーストウッド)は家族と折り合いが悪く、80代になっても孤独に暮らしていた。経済的に行き詰まった彼は、債権者に自宅を差し押さえられてしまう。そんななか、アールはひょんなことから麻薬の運び屋になるのだった。麻薬取締局のコリン・ベイツ(ブラッドリー・クーパー)が彼を追う。

犯罪を扱いつつ同時に家族の再生も描いていて、随分とありきたりな脚本だと思った。ただ、あのクリント・イーストウッドが矍鑠としたお爺ちゃんを演じているのは面白い。途中で話の道筋が分かってしまうものの、それでも彼の演技を確認するために最後まで見た。

周知の通り、クリント・イーストウッドマカロニ・ウェスタンの頃から孤独なカウボーイを演じていた。本作でも孤独な老人を演じていて、この辺の役回りは昔からブレてないと感心する。もちろん、歳をとっても男根主義的な面は色濃い。アールは朝鮮戦争の復員兵であることを誇りに思っていて、ギャングに銃で脅されても、「俺は戦争に行ったんだ。そんなもの怖くない」と撥ねつけている。また、麻薬を運ぶ際もギャングの指示通りには動かず、好き勝手に寄り道したり停車したりする始末。老人だからこそ死を恐れないのか、犯罪組織と互角に渡り合う怖いもの知らずの性格をしている。これがイーストウッドの考える老人のダンディズムなのだろう。さらに、アールにはチャーミングな一面もあって、際どい冗談や軽口を平然と飛ばすし、インターネットには疎いというステレオタイプな欠点も備えている。弱々しい外見とは裏腹に強固な自我を持ち合わせていて、人間は何歳になっても現役なのだと感心した。

初めはバイト感覚でやっていた運び屋が、いつしかのっぴきならない状況にまで追い込まれる。アールのやっていることといったら車を目的地まで運転するだけ。しかし、それだけで大金が手に入る。一度楽して稼いでしまうともうカタギには戻れなくなるのだろう。正直、序盤を観た段階では僕もあの仕事をやりたいと思ったくらいだ。けれども、何度も運び屋をするうちに深い沼にはまってしまう。ボスの胸三寸で命の危機に見舞われてしまう。こうなるともはや麻薬取締局に摘発されることが唯一救われる道で、ああいう結末に至ったのも必然だろう。本作は犯罪組織に関わることのリスクをリアルに描いていて、やはり法を守るのが一番だという気分になる。自分の身を守るためにも遵法精神は大切だ。

家族の再生については凡庸なハリウッド映画そのもので、犯罪だけじゃドラマにならないからとりあえず付け足したような間に合わせ感がある。この辺はテンプレ通りで物足りない。結局、ハリウッドで撮るとハリウッドの文法に従わなければならなくなる。売れ線の要素を入れなければならなくなる。そういう暗黙の制約が感じられてきつかった。世界の映画産業がハリウッド一色でないことを我々は喜ぶべきだ。