海外文学読書録

書評と感想

マイケル・チミノ『サンダーボルト』(1974/米)

★★★

教会で牧師に扮していたサンダーボルト(クリント・イーストウッド)が、レッド(ジョージ・ケネディ)という男に襲撃される。そこへ中古車を盗んだライトフット(ジェフ・ブリッジス)が通りがかり、サンダーボルトはそれに乗り込んで逃げる。サンダーボルトの正体は銀行強盗だった。2人で金の隠し場所に向かうも、そこにあるはずの建物がない。サンダーボルトたちは再び銀行強盗をすることに。

この時代に犯罪映画を撮るとどうしてもアメリカン・ニューシネマになってしまうようだ。それが時代の空気であり、犯罪のリアルなのだろう。とはいえ、サンダーボルトだけ生き残るのはクリント・イーストウッドという役者の格に配慮した感じでいけ好かない。ジェフリー・ルイスなら殺してもいい。ジョージ・ケネディなら殺してもいい。ジェフ・ブリッジスなら殺してもいい。しかし、クリント・イーストウッドだけは殺してはならない。ハリウッド映画を観るとつい余計な力学を読み取ってしまう。

ライトフットのエピキュリアン的な性質がアメリカ人を代表しているように見えた。コソドロで、放浪者で、楽天的な性格をしている。根無し草であることに不安を感じていない。命を狙われても笑顔を見せている。そして、女を調達するような気軽さで銀行強盗を提案する。銀行強盗で大金を得るのも一種のアメリカン・ドリームだ。近代国家の国民に求められるのは遵法精神だが、アメリカ人はそんなものに囚われない。自由である。それが証拠に現代アメリカの企業は違法ビジネスから合法ビジネスに転換したものがちらほらある。音楽共有ソフトから音楽配信サービスに鞍替えしたNapsterファンサブから出発したCrunchyroll。著作権侵害動画で勢力を拡大したYouTubeアメリカン・ドリームを達成するには遵法精神などクソ食らえである。そう考えると、序盤でライトフットが中古車を失敬するのは些細なことだし、銀行強盗も金持ちになるためのひとつの手段にしか思えなくなる。自由の国アメリカ。そこに住むアメリカ人は法律なんかでは縛れないのだった。

大量のウサギを車のトランクに積んだおじさんが強烈で、モブなのにこんな個性的なキャラを出してきたのはどういうことかと面食らった。車の運転は荒いし、排気ガスを車内に引き込んでいるし、自殺志願者にしか見えない。トランクに積んだウサギは何だったのか。また、郊外の住宅地で生意気な口を利いてくる子供やハンマーで車のドアを叩いてくる女も地味に狂っている。自由の国アメリカのフリーダムぶりを思い知った。

みんなで協力して行う銀行強盗は牧歌的でどこか微笑ましいものがある。強盗のために女装するライトフット、20ミリ機関砲で銀行の壁をぶち抜くサンダーボルト。まるでルパン三世のようだ。思うに、スタートアップ企業の興奮もこんなものではないか。少ない人数で大きなことをやるのはとても楽しいことである。