海外文学読書録

書評と感想

アラン・ロブ=グリエ『ヨーロッパ横断特急』(1966/仏=ベルギー)

★★★

麻薬の運び屋エリアス(ジャン=ルイ・トランティニャン)が、パリ駅でブツの入ったアタッシュケースを受け取り、それを持ってヨーロッパ横断特急に乗り込む。目的地はアントワープ。一方、同じ列車には、麻薬の運び屋を題材にした映画を撮ろうとしている人たちが乗っていて、シナリオを協議している。シナリオは試行錯誤の末に何度も直されるのだった。アントワープに着いたエリアスは、エヴァ(マリー=フランス・ピジェ)という娼婦と出会い……。

エリアスの物語と映画制作者の物語が交差するメタフィクション。両者が同一平面上の時空にいて、しばしばすれ違うところが面白いかもしれない。これはつまり、作者と創作人物が同じフレームに入っているということだ。さらに、映画制作者がシナリオを手直しすることでエリアスの行動もそれに倣うようになっていて、ああこれぞメタフィクションだなって思う。ただ、こういう趣向は中盤以降で薄れていき、途中からシナリオが一本道になるところが物足りなかった。序盤の雰囲気からめくるめく迷宮のような映画になると予想していたのだ。結果としては筋の通ったまっとうな映画になっていたので、いくぶん肩透かしを食った。

映像面でいくつか印象に残る部分があって、たとえば列車の横を歩くとか、トンネルのなかを歩くとか、桟橋を歩くとか、縦に長い場所を奥に向かって移動するシーンが目に焼きついている。どうも僕はこういう奥行きを感じさせる映像が好きみたいだ。また、視線を意識したカットも多く、道行く人たちがそれぞれカメラ目線でこちらを見ているのが気になる。もちろん、「こちら」というのは錯覚で、厳密には付近を通ったエリアスを見ているのだろう(彼に対する監視を暗示しているのかもしれない)。ただ、一箇所だけ明らかに観客を見つめたメタ的視線があって、それは3人の男たちが仕事をしながらカメラ目線でセリフを言うシーンだ。ここは今まで平面だったものが立体になったような感覚がある。ともあれ、やたらと出てくるカメラ目線がいかにも前衛映画らしく、昔の映画は見る・見られるに意識的だったのが分かった。

作中で何度か緊縛プレイが出てくるのだけど、なかでも良かったのが、オペラをBGMにしてエリアスとエヴァがプレイするシーンだった。フェティシズムは見せ方によって絵になるのだなと感心する。そして、次点は終盤のストリップショーで、エロスをさも芸術のように撮るところがフランス映画っぽいと思った。