海外文学読書録

書評と感想

ルネ・クレール『巴里の屋根の下』(1930/仏)

★★★

パリの裏町。アルベール(アルベール・プレジャン)は街頭で歌を歌って楽譜を売る商売をした。一方、彼の友人ルイ(エドモン・T・クレヴィル)は露天商をしている。2人は移民娘のポーラ(ポーラ・イレリ)と出会うも、スリのフレッド(ガストン・モド)が彼女を掻っ攫ってしまう。フレッドに部屋の鍵を盗まれたポーラは、偶然再会したアルベールの部屋に泊まることになり……。

サイレントとトーキーを折衷したような映画だった。音の使い方に工夫があって、いかにしてトーキー映画として成立させるか試行錯誤してるように見える。新しい技術を手探りで使っているような映画だった。

初めてのトーキー映画を制作するにあたって、合唱を中核に持ってくるのは野心的だと思う。ただ登場人物にセリフを喋らせるだけではない。音楽を意識的に使う。とはいえ、現代の水準だと劇伴の使い方がサイレント寄りで、音楽が流れている間は登場人物のセリフを無音にし、動きのみを映していたのには戸惑った。時代の制約とはいえ、まだサイレントの感覚から抜けきってないところがある。そこが見ていてもどかしい。

ガラス張りのドアから店内を映す際、中の音が聞こえない演出は面白かった。このシーンは無音で動きだけを見せている。そして、ドアが開いたら途端に音が聞こえるのだから心憎い。ここはサイレントの感覚が上手くはまっていたと思う。

また、アルベールがフレッドたちと路上で喧嘩する際、汽笛の音で喧騒がかき消されるのも面白かった。ここはカメラワークも工夫されていて、汽笛が鳴っている間、柱を使って肝心の乱闘を見えなくしている。観客の覗き見趣味を意図的に邪魔することで、場面への興味を増幅させる手法がはまっていた。

カメラワークについては、この時点である程度見せ方が確立しているようだった。屋根裏部屋の男女を天窓から映す。カップルが連れ添って歩くところを足元だけ映す(野良犬もフレームに入れる)。映像への意識がとても高いように見受けられた。

昔の映画だからハッピーエンドで終わるのだろうと思っていたら、そこは一捻りあって意外だった。アルベールの心境を歌で言い表しているところがもののあわれを感じさせる。音楽で始まって音楽で終わる構成が余韻を醸し出していた。

というわけで、本作はサイレントからトーキーへの過渡期を象徴する映画である。そういう意味ではなかなか興味深かった。たまには歴史を点検するのもいいものである。