海外文学読書録

書評と感想

アラン・ロブ=グリエ『嘘をつく男』(1968/仏=伊=チェコスロバキア)

★★★

第二次世界大戦末期のスロバキア共和国。そこは当時ナチスの傀儡政権だった。スーツ姿の男(ジャン=ルイ・トランティニャン)が森のなかで兵士に銃撃されるも、何とかして小さな村に逃げのびる。彼の名はボリスで、レジスタンスの英雄ジャンの親友だった。ボリスは村の娘マリア(シルヴィエ・ブレール)にジャンは裏切り者だったと告げる。その一方で、ジャンの妹シルヴィア(シルヴィエ・トゥルボヴァー)には自分が裏切り者だったと告白し……。

ホルヘ・ルイス・ボルヘス「裏切り者と英雄のテーマ」【Amazon】を下敷きにしている。

映画そのものが「信頼できない語り手」みたいな感じで、何が真実なのかさっぱり分からないようになっている。映画において出来事が真実であることを担保するのは、画面で進行する映像とセリフなのだけど、実はどちらも根拠にならないケースがある。本作では複数の矛盾する映像やセリフを織り交ぜることによって、フィクションには確固たる真実なんてないということを示している。そもそも、スーツ姿の男がボリスなのかも断定できない。彼は冒頭で自分はジャンと名乗っているのだ。また、ボリスが告げるジャンのエピソードも二転三転しており、こちらもどれが本当でどれが嘘なのか分からない。ジャンが生きているのか死んでいるのか、それを確定する証拠が何もないのである。

この部分における極めつけは、カフェの女給がジャンの妻子に言及するシーンだろう。そこでは妻子の認知が狂っていることが示唆される。彼女たちの夫であり父であるジャンは存在しない、と断言される。我々がフィクションを鑑賞するとき、語られる内容が作品で起こった真実だと認識するのは、それを揺るがす対論がないからだ。だから、本作みたいに様々な方向から対論をぶつけると、物語の土台がぐらぐら揺れることになる。残るのはただ物語を前に進める叙述のみになる。フィクションにおける真実とは何なのか? その根本的な部分に迫ったのが良かった。

画面に映っているのが真実なのか幻影なのか、その辺を曖昧にしながら物語を進めていく手法はなかなか刺激的だった。それと、瓶が割れるシーンや銃撃のシーンなど、雑多な映像をフラッシュバック的に見せるのも前衛映画らしいと思う。結局のところ、映画は編集がすべてなのだ。監督は一定の理論に沿って編集しつつ、ある閃きを取り入れることで目新しさを出す。個人的にはこういう映画ってわりと好きだから困ったものだ。素人くさい部分も含めて好きである。