海外文学読書録

書評と感想

セルジオ・コルブッチ『続・荒野の用心棒』(1966/伊=スペイン)

★★★

メキシコとの国境付近。流れ者のガンマン・ジャンゴ(フランコ・ネロ)が殺されかかっていた娼婦マリア(ロレダーナ・ヌシアク)を救う。ジャンゴは棺桶を引きずっていた。近くの宿場町では元南軍のジャクソン少佐(エドアルド・ファヤルド)とメキシコ人のロドリゲス将軍(ホセ・ボダロ)が勢力争いをしている。ジャンゴは酒場でジャクソンの部下数人を射殺、報復としてジャクソンが40人の部下を引き連れてくる。

原題はDjango。『荒野の用心棒』の続編ではない。

マカロニ・ウェスタンであるが、やはり棺桶を引きずっているヒーロー像が鮮烈ではないか。『子連れ狼』で拝一刀が押している箱車や『鬼滅の刃』で竈門炭治郎が背負っている木箱など、本作が源流にあるのだろう。中に何が入っているのかといったら大量殺戮兵器である。棺桶から機関銃を取り出して雑魚どもを一掃するのが爽快だった。拳銃では一度に6人までしか殺せない。ところが、機関銃だと理論的には140人まで殺せる。この差は大きい。拳銃による早撃ちも悪くないが、機関銃による一斉掃射も負けず劣らず強烈である。

拳銃での早撃ちがどれもよーいどんでの早撃ち勝負じゃないところが面白い。だいたい西部劇ってここぞというときは正々堂々と勝負するものだが、本作では1対多数が基本のせいか、ほとんどジャンゴの間合いで撃っているし、逆に相手も好き勝手に撃ってくる。美学もへったくれもない。この容赦のない実利主義はアングロ・サクソン系とラテン系の違いなのか、それともアメリカとイタリアの違いなのか。そして、ジャンゴに致命的な傷を負わせるのもすごい。両手を潰して拳銃を握れないようにしている。手というのはガンマンにとって生命線だ。これを潰されたら何もできない。武力は行使できないし、そもそも日常生活もままならない。にもかかわらず、クライマックスで意外な見せ場を作っているのだから頭が下がる。あのやけくそ気味な早撃ちには痺れてしまった。

対立する二つの勢力を争わせて漁夫の利を得るのかと思いきや、全然そんなことなかったのも意外だった。ジャンゴの行動はけっこう行き当たりばったりである。成り行きで女を助け、成り行きでジャクソン一味を撃滅する。そして、町の覇者となったロドリゲスたちと一緒に黄金の強奪をする。ジャクソンは度し難い人種差別主義者だが、ロドリゲスは祖国メキシコで革命を夢見ていた。しかし、だからといってロドリゲス一味がマシというわけでもなく、連中もジャクソン一味と同じくヒャッハーしている。彼らにとって人の命は軽い。二つの勢力がどちらもならず者であるところが本作をシンプルな劇にしている。

泥だらけの地面、寂れた宿場町、棺桶を引きずる流れ者。そういったビジュアルも特異だが、一番特異なのはジャンゴが何もかも失う筋立てだったかもしれない。機関銃は黄金を得るために置き去りになったし、その黄金は底なし沼に沈んだ。おまけに両手は完膚なきまでに叩き潰されている。今後、彼はどうやって生きていくのだろう? 傷つき何もかも失くしたが、命だけはあるという状況。果たし合いには勝ってもどこか虚しさだけが残る。