海外文学読書録

書評と感想

マウリツィオ・ルチーディ『復讐の用心棒』(1967/伊)

復讐の用心棒 (字幕版)

復讐の用心棒 (字幕版)

  • ロバート・ウッド
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★★★

ヒューストンにメキシコ人のペコス(ロバート・ウッド)が流れ着く。ペコスは凄腕のガンマンだった。一方、町には無法者のクライン(ノーマン・クラーク)が部下たちを引き連れそこら中を荒らし回っている。クラインはこの町に運び込まれた8万ドルを探していた。ペコスが無法者たちを次々と仕留めていく。

マカロニ・ウェスタン。惜しみなく銃を撃ちまくり、敵も味方もバンバン死んでいく。暴力性の高さが娯楽度の高さに比例していて感心した。

冒頭のシーンが白眉で、以降はさほど見所がなかった。冒頭はあり得ないくらい格好いい。「ペコスという男に気をつけろ」という主題歌にはずっこけるが、あの一対一のやりとりは西部劇ならではのダンディズムがある。結局、男の世界は取るか取られるかなのだ。男が別の男と出会ったら途端に緊張が走る。サドの著作を読めば分かる通り、個人主義が最終的に行き着く場所は暴力である。男と男の関係なら尚更だろう。我々は誰も信用できない。

ヒューストンには保安官がいない。無法者たちが5人も殺したから誰も赴任してこないのだ。だからやりたい放題である。こういった真空地帯では力こそ正義だけど、面白いのは情報も武器になっているところだ。無法者に捕まったペコスは情報を与えることで窮地を脱しているし、力のない牧師は情報をちらつかせることで無法者から利益を得ている(直後にペコスに射殺されているが)。無法者には目的がある。その目的を達成するためには情報が必要だ。情報を持っている奴は安易に殺せない。だからこそ情報が武器になる。血と暴力の世界で情報を武器に立ち回るところもなかなか面白い。

銃の名手であるペコスも無敵ではない。無法者は人数が多いので、分散したところを少しずつ始末していくことになる。一度につき2~3人だろうか。これはこれでリアリティがあるし、また、そうすることでガン・アクションの見せ場が増えている。ガン・アクションはやはり拳銃の早撃ちが一番だが、遠くからライフルで射撃するシーンも乙である。しかもその際、1発では仕留めきれず、3~4発撃ち込んでようやく倒している。凄腕のガンマンもライフルだと急所を外してしまうようだ。殺傷能力の高い銃で時間のかかった死に様を見せる。作劇の要請とはいえ、リアリティ・ラインが破綻している印象を受けた。

トルティーヤのことを字幕ではオムレツと訳していて、確かにオムレツと言えなくもないと思った。あと、酒場で吊るされている死体、その目に金貨がはまっているのが粋である。これぞ西部劇の世界。そして、酒場のマスターと金髪の弟は見た感じ親子ほどの年齢差があるが、本当に兄弟なのか疑問だった。僕は翻訳ミスを疑っている。

敵も味方もバンバン殺しておきながら、女だけは殺さないところが本作のやさしさだろう。男の世界において女は守るべきもの。そういったジェンダー規範が窺える。