海外文学読書録

書評と感想

熊井啓『サンダカン八番娼館 望郷』(1974/日)

★★

ボルネオの港町サンダカン。そこの日本人街には娼館があり、日本から少女たちが「からゆきさん」として売られていた。女性史研究家の三谷圭子(栗原小巻)が天草で元からゆきさんの老婆・北川サキ(田中絹代)と出会う。貧困家庭の娘だったサキ(高橋洋子)は14歳で身売りして……。

原作は山崎朋子『サンダカン八番娼館』【Amazon】。

日本のレトロ映画もカラーになると映像のチープさが目立つ。画面の構図はテレビみたいだし、俳優の演技は大仰だし、演出もわざとらしい。映画を観ているというよりはテレビの2時間ドラマを観ているような感じがする。本作は人身売買という歴史の闇に焦点を当てた社会派映画。志の高さは認めるものの、しかし映画は何とも言えない出来栄えで困惑する。啓蒙として割り切るなら「あり」だが、芸術としてなら「なし」というのが正直なところだ。個人的には70年代から90年代までの日本映画は肌に合わない。そのことを再確認させられた。

「からゆきさん」とは身売りされた売春婦のことで、今風に言えば「性的モノ化」された女性である。本作の特徴は当事者のナラティブを起点にして、その生活史を活写しているところだ。刺青を入れた土人に無理矢理処女を奪われる。惚れた男と結婚の約束をするも先に上昇婚されてしまう。自分を売り飛ばした女衒は女の生き血を吸って悠々と出世している。おまけに、国に帰ったら帰ったで実の兄から外聞が悪いと敬遠されてしまった。男はみな同じで誰も信用できない。

そのせいか本作ではシスターフッドが重視されている。売春婦仲間の横の繋がり、そして自分の元を訪ねてきた圭子との繋がり。サキは正体の分からない圭子を信頼し、堰を切ったように自分の過去を話していく。そして、三週間の同居を通じて2人はシスターフッドで結ばれる。その象徴が家屋の修繕だろう。見るに堪えないあばら家は、圭子の協力によって小綺麗に整えられた(障子を貼り、襖を新調し、畳の上に茣蓙を敷いた)。そして、その整えられた場で圭子は秘密を明かす。序盤と終盤のヴィジュアルの違い。2人の信頼関係を目に見えて分からせたのが良かった。

現代日本では海外に出ることが高度人材の証だとされている。しかし、戦前の日本ではそうでもなかった。外貨獲得のために身売りしていたのが実態のようである。そして、円安で経済的に落ち目の現在、海外に出稼ぎに行く日本人が増えているという。それって戦前の日本と似た状況なのではないか。こうなると「からゆきさん」が繰り返される可能性もあるわけで、日本の経済情勢を注視せざるを得ない。

老婆になった北川サキを田中絹代が演じている。演技自体は申し分ないが、貧乏暮らしのわりに妙に端正なのが気になった。普通、ああいう生活をしていたら歯はボロボロになっているだろう。それが女優らしい健康的な歯をしている。パッと見、歯医者でメンテナンスしている歯である。人の生活は歯にもっとも表れるわけで、そこはリアリティに乏しかった。