海外文学読書録

書評と感想

スティーヴン・キング『ザ・スタンド』(1978,1990)

★★★

1990年のアメリカ。軍施設から兵器用のインフルエンザ・ウイルスが流出し、アメリカで大流行することになった。それによって人口のおよそ9割が死ぬ。生き残った者たちは夢に出てきた老婆に導かれ、フリーゾーンというコミュニティを形成する。一方、ラスヴェガスでは悪魔的な力を持った闇の男が君臨し、そこにも人が集っていた。闇の男はフリーゾーンの壊滅を計画している。

「神様があんたたちをここにお呼び寄せになったのは、委員会だのコミュニティーだのつくらせるためじゃあない」マザー・アバゲイルは言った。「あんたたちをここに集められたのは、ここよりもさらに先へ、さらに遠い探索の旅へと送りだされるためなのさ。あんたたちがこの〈闇のプリンス〉に、この〈はるかな距離を駆ける男〉に対抗し、討ち滅ぼす努力すること、それをこそ主は予定しておいでになるのさ」(下 p.349)

全5巻。

ハードカバーで読んだ。引用もそこから。

スティーヴン・キングは物語作りの天才で、登場人物に厚みを持たせるエピソードをこれでもかと繰り出してくる。その創造力には感心するものの、しかしそれゆえに読み通すのが困難な大長編になってしまう。本作はハードカバー2段組で1400ページもある。途中、何度か投げ出そうとしたものの、そのたびに自分に活を入れ、結局は12日かけて読み終えた。天才の仕事に触れられたので後悔はない。しかし、時間と労力をとんでもなく使うので、忙しい現代人には不向きだろう。コロナ禍にふさわしい内容とはいえ、時間に余裕がある人しか手に取ることはなさそうである。

本作は文明についての話だ。アメリカが終末的状況になったのも文明のせいである。兵器用のインフルエンザ・ウイルスが人類を絶滅寸前にまで追い込んだ。文明の発展にも功罪があって、人々の暮らしを便利にする反面、大量破壊兵器によってすべてをぶち壊しにする危険がある。この世に神がいるとしたら、一番気に食わないのは文明だろう。というのも、自然は神が創造したのに対し、文明は人間が創造したからである。完璧な神が作った自然は完璧な出来栄えだ。一方、半端な人間が作った文明は半端な出来栄えである。聖書の中でも神は文明に介入してきた。ソドムとゴモラを業火で滅ぼしたし、バベルの塔も崩壊させた。とかく神は文明を嫌っている。闇の男が文明の象徴なのは必然だろう。文明によって人類が絶滅しかけたのに、人類は懲りずに文明を再興しようとしている。闇の男はそれに手を貸しているわけで、彼は紛れもなく悪魔である。

フリーゾーンは民主制で合衆国憲法を採択している。この期に及んでアメリカの復権を目指しているところが面白いが、実はただの民主制ではない。神の代理人たるマザー・アバゲイルを頂点に据えた神託政治が基盤である。とにかくマザー・アバゲイルの命令が優先で、コミュニティの枢要にいる人たちはそれに従っている。この辺は日本の天皇制を連想させて興味深い。民主主義の代表たるアメリカで天皇のような超越的な存在が置かれているのだ。とはいえ、元々アメリカは大統領が聖書(=神)に誓いを立てる国なので、このような政体と相性がいいのだろう。民主制と宗教の奇妙な融合。現代社会もまだまだ不合理なようである。

一方、闇の男が支配するラスヴェガスは恐怖によって支配されている。みんなよく働くし、ドラッグ問題もないし、児童への教育制度も確立されている。フリーゾーンよりも秩序が保たれているが、しかし、源泉になっているのは独裁者への恐怖心だった。そういう意味でこのコミュニティはナチスに比せられている。フリーゾーンとラスヴェガスの対立は民主制と独裁制の対立であり、後者は全能のはずだった独裁者が全能ではなかったがゆえに破綻していく。これぞ独裁制の欠点だろう。独裁制を成功させるには神のごとき人間が必要だが、現実にはそれがいないから成り立たない。だから人類は民主制を支持するしかないのである。

フリーゾーンがラスヴェガスに勝利するロジックが秀逸で、悪の独裁国家も結局は文明によって自滅するのだった。人類を生かすのも文明なら、人類を滅ぼすのも文明。なかなか奥が深い。