海外文学読書録

書評と感想

ジョエル・シュマッカー『バットマン フォーエヴァー』(1995/米)

★★

ゴッサム・シティ。怪人トゥー・フェイス(トミー・リー・ジョーンズ)が銀行を襲ったので、バットマンヴァル・キルマー)が出動する。バットマンの表の顔は企業家ブルース・ウェインであり、彼は価値観の相違から研究員ニグマ(ジム・キャリー)に恨まれる。後にニグマは怪人リドラーとなってトゥー・フェイスとコンビを組むのだった。バットマンブルース・ウェイン精神科医のDr.チェイスニコール・キッドマン)と懇ろになる。また、紆余曲折があってロビン(クリス・オドネル)とコンビを組むことになる。

『バットマン リターンズ』の続編。

開始5分で駄作と確信したが、最後まで観てもやはり駄作だったので第一印象は重要だと思った。特に映像がチープ過ぎるのが引っ掛かる(最近、『ゲーム・オブ・スローンズ』を観ているので尚更だった)。90年代ってこんなものだっけ? もう少しマシだったような? 洗練された映像を見せてくれたという意味でダークナイトトリロジーは偉大だった。

過去作と比べて色彩設計が独特だったかもしれない。B級映画のようなキッチュな色合い。トゥー・フェイスのけばけばしい外見はハロウィンのコスプレみたいだし、リドラーの原色コスチュームは見る者を釘付けにするような派手さがある。また、夜のネオンやアジトの禍々しさも特筆すべきだろう。そこには仮想空間としてのゴッサム・シティが立ち上がっている。バットマンの本質はフリークショーなので、こういった色合いは理に適っているのだった。

トゥー・フェイスの二面性が左右の二面性なのに対し、バットマンの二面性は表裏の二面性である。だから2人の関係を掘り下げていくのかと思ったら、トゥー・フェイスとぶつかったのがロビンだったので拍子抜けした。結局、バットマンの闇を一身に受けたのはリドラーである。二対二という構図はフリークショーとしては申し分ないが、その反面、テーマの深みがまったくなくて物足りない。囚われのヒロインを救うという筋立てが象徴する通り、全体としては昔ながらのエンターテイメントに収まっている。

ヒロインのチェイスは当初バットマンに惚れていた。彼のヒーロー性に恋い焦がれていたのである。その態度はまるでグルーピーだった。ところが、ブルースと会ってからは事情が変わる。彼女はブルースと仲を深め、遂にはバットマンよりブルースのほうを好きになる。

ブルースにしてみれば、バットマンという裏の顔よりもブルースという表の顔を認められたほうが遥かに嬉しい。それが証拠に、バットマンに扮していた彼は、チェイスからブルースのほうが好きだと告白されたときに笑みを浮かべている。ブルースが光の世界で生きているのに対し、バットマンは闇の世界で生きている。彼にとってはヒーローとしての偽りの顔よりも、市民としての、あるいは生活者としての顔のほうが本物なのである。ブルース/バットマンという表裏の二面性において、表の顔のほうが重要というのが興味深い。

バットマンと言えば不殺のヒーローの代表格だったのに、トゥー・フェイスのことを未必の故意みたいな形で殺したのには驚いた。