海外文学読書録

書評と感想

チャック・ウェンディグ『疫神記』(2019)

★★★

ペンシルヴェニア州。酪農家の娘シャナは妹ネッシーの異変に気づく。彼女が物言わずどこかへ向かって歩く夢遊者になったのだ。以降、他の夢遊者たちが合流して北米を西へ進む。夢遊者たちの家族は彼らの後をついていく。一方、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)では人工知能ブラックスワンが疫病の専門家ベンジーをこの件の担当に指名する。ベンジーは曰く付きの人物だった。

「みなさん、そのへんで終わりにしませんか」やめさせる潮時だった。マシューは両手を振り、それから首を左右に振った。「情報がないまま急いで結論に飛びついても、ろくなことになりません。そうだ、みなさんに聞いていただきたい素晴らしい金言が、ひとつあります。〈仮説とは、世界に向けて開かれた窓のようなものだ。ときどき拭いてやらないと、曇って光を通さなくなる〉」

コリーンが眉をひそめた。「それって、聖書のどこに書いてあります?」
「聖書ではありません。アイザック・アシモフです」(上 p.230)

パンデミックSF。1400ページもあって読むのがきつかったものの、中盤と終盤に気の利いたどんでん返しがあって満足度は高かった。とはいえ、やはり長いのがネック。ロードムービー的な筋運びがだるいので、ゾンビ映画のような終末的状況に思い入れがある人向けになるだろう。

本作はパンデミックSFの最新アップデート版である。トランプ大統領に代表されるアメリカの分断が織り込まれているし、昨今の気候変動問題なども取り沙汰されている。さらに、特筆すべきは人工知能の扱いだ。本作では神に擬せられるほどの高度な存在として人類を導いている。神が人間に奉仕するのか、それとも人間が神に奉仕するのか。最新のテクノロジーが神学的なテーマと絡み合い、最終的に両者は止揚している。この期に及んで信仰が前面に出てくるあたり、さすがアメリカといったところである。

シャナが属する善玉集団は身内を見守っていくうちに人類存続のキーパーソンとなる。一方、白人至上主義の悪玉集団は私利私欲を貪っており、悪質な武装集団として他人に害を与えている。今回襲った疫病は致死率が高く、罹患した者はすべて死んでいる。既存の治療薬は症状の進行を抑えて寿命をわずかながら先延ばしにする程度しか効果がなかった。つまり、善玉集団も悪玉集団も近いうちに死ぬのである。そういった極限状態の中、人はどうやって生きるモチベーションを保つのか。

善玉集団にとってそれは善き生を送る義務感である。ただ漫然と生きるのではなく、正しいことをやろうと努力すれば、神の栄光に俗していられる。あるいはそんな信仰を抜きにしても、人は定言命法に従って生きるべきだろう。約束された死を前にしても人類のために貢献する。それが善玉集団の行動原理である。

一方、悪玉集団は刹那的で、欲望の赴くまま武力によって周辺を支配している。彼らはどういうモチベーションで生きているのか分からない。迫りくる死を前にして自暴自棄になっているように見受けられる。

本作はこのような善と悪の対決がクライマックスになっていて、アクションシーンはなかなかの見せ場だ。ただ銃撃戦をするのではなく、時にSF的なギミックを使い、時に皮肉な状況で敵を倒す。それまでの群像劇が生かされていて読み応えがあった。

人工知能にとっての「善」と人類にとっての「善」。両者のすれ違いとすり合わせも本作の面白味と言っていいだろう。それは巨視的であるか近視的であるかの違いで、こちらの倫理観を揺さぶってくる。神とは何か、という問いのひとつに答えになるのではないか。「疫神記」という邦題(原題は「Wanderers」)はなかなか絶妙だ。