海外文学読書録

書評と感想

セルジオ・レオーネ『夕陽のギャングたち』(1971/伊=スペイン=米)

夕陽のギャングたち

夕陽のギャングたち

  • ロッド・スタイガー
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★★★★

20世紀初頭。メキシコ革命。山賊の頭目ファン・ミランダ(ロッド・スタイガー)がIRAの元闘士ジョン・マロリー(ジェームズ・コバーン)と出会う。ジョンは爆発物のエキスパートだった。その能力に目をつけたファンは一味に加わって銀行強盗をするよう誘う。ところが、ジョンは首を縦に振らない。やがて2人はメキシコ革命に身を投じていく。

マカロニ・ウェスタンとアメリカン・ニューシネマの幸福な結婚といった感じ。『明日に向って撃て!』が1969年なので当時はそういう時代だったのだろう。個人的には『明日に向って撃て!』のほうが好きだが、本作は本作でワイルドな魅力がある。やはりマカロニ・ウェスタンは暴力性が高いところがポイントだ。そして、男の友情というのはホモセクシャルに限りなく接近するが、それでもなおアリバイ作りのためにヒロインを出さないところが潔かった。本作のヒロインはジョンの回想にしか出てこない。男2人が剣呑な出会いから信頼を深めていくところが良かった。こういうのはクリシェと分かっていてもぐっときてしまう。内に眠る素朴な感情を刺激されるというか。追い詰められた2人がアメリカを夢見るところが不可避的な悲劇を予感させてせつない。

冒頭でファンが馬車強盗をするシーンがすごい。当初は貧民を装ってブルジョワ客と同乗するのだが、そこで極端なクローズアップを連発していて強迫的である。ブルジョワたちのグロテスクな精神性を偏執的なショットで表現しているのだ。こいつらは貧民をバカにしている。自分たちが支配者であり、すべてにおいて優越していると信じ切っている。馬車の中でファンはブルジョワたちから散々侮辱されるが、だからこそ直後のどんでん返しが心地いい。それまでの秩序を暴力によって一変させてしまうのだ。おそらくこの強盗シーンは革命の隠喩なのだろう。革命の原点はいけ好かない奴を暴力で分からせることである。平和な社会に暮らす我々は日常で暴力を抑制しているからこそ、フィクションで暴力が解放されるところに興奮する。背徳的なカタルシスを味わっている。

マカロニ・ウェスタンと言えばやはりダイナマイトだろう。本作はジョンが爆発物のエキスパートで、爆発シーンが惜しみなく出てくる。IRAの元闘士という出自は珍しいが、基本的に彼の人物造形はジャンルのニーズに合わせている。当時の爆発シーンはガチで爆発させているからいい。一発勝負の緊張感みたいなものがある。また、機関銃で敵をなぎ倒していくシーンも爽快だ。拳銃による抜き撃ち勝負が西部劇の美学だとすれば、近代兵器による大量殺戮がマカロニ・ウェスタンの美学である(『続・荒野の用心棒』を見よ!)。本作は戦争映画と見紛うほどの悲惨な暴力描写に圧倒される。

エンニオ・モリコーネの劇伴はとにかく癖が強い。ションションションと歌の入った劇伴は強烈なインパクトだし、モーツァルトを引用した劇伴も記憶に残っている。ここまで主張の強い劇伴もなかなか珍しいのではなかろうか。マカロニ・ウェスタンは劇伴をサブテキストとして大々的に使うからびっくりする。