海外文学読書録

書評と感想

山田尚子『映画 聲の形』(2016/日)

★★

高校3年生の石田将也が、身辺整理をして飛び降り自殺をしようとするも断念する。石田は小学6年生のとき、転校してきた聴覚障害者の西宮硝子をいじめていたのだった。後にそれがクラスで問題になって今度は彼がいじめられることに。時は過ぎ、高校生になった石田は西宮と再会、彼女と友達になる。

心を閉ざしていた石田が西宮と関わることで救われる。そういう感動的な回復のストーリーなのだけど、西宮の内面がブラックボックスと化していて終始違和感が付きまとった。

まず西宮は小学生のとき、複数のクラスメートからきついいじめを受けるのだけど、その反応が不自然で理解に苦しむのだ。まるでいじめなんてないかのように友好的に振る舞っていて、それがある人物の逆鱗に触れてさらなるいじめを誘発している。その後、高校生になったらなったで、かつて自分をいじめていた人物と嫌がらずに交流していて、「さすがにそれはないだろ」と思った。一般的に、いじめの被害者は加害者を許すことはない。青年になっても、中年になっても、そして老年になっても許すことはない。僕が観測した例だと、ある作家は還暦も間近なのに、Twitterで学生時代のいじめ体験を持ち出しては呪詛の言葉を撒き散らしていた。たぶん、いじめ被害者は死んでも加害者のことを許さないのではないか。と、そういうリアルな事情を知っているので、まだ高校生に過ぎない西宮が加害者たちと交流しているのが引っ掛かった。

それだけではない。高校生になって石田と和解した西宮は自殺を図るのだけど、これも唐突すぎて理解不能なのだ。石田と仲良く花火大会に行って、そこを抜け出してマンションから飛び降りようとする。なぜこのタイミングで? どうやら小学生のときから自殺願望があったらしいことが後付けで説明される。しかし、それにしたって筋は通らないだろう。後の展開を考えると、石田が身代わりになるために作られた人工的なイベントにしか思えない。西宮を助けようとした石田が代わりに落ちて瀕死になる。復活した石田はまるで禊が済んだかのように救われる。個人的には、人の生き死にを感動のダシにするのは受け入れがたいのだった。

日本ではかつて障害者を聖人君子に仕立てた感動ポルノが流行ったけど、本作はその亜流と捉えられてもやむを得ないのではないか。ただし、障害者を見て感動するパターンではなく、障害者をいじめていた人間を見て感動するパターン。まあ、これはこれで新しいかもしれない。