海外文学読書録

書評と感想

エリザベス・ストラウト『バージェス家の出来事』(2013)

★★★

ニューヨークで暮らすジムとボブはメイン州出身の兄弟。ジムは有名な弁護士で、ボブは訴訟支援に勤務している。メイン州ではボブと双子のスーザンが息子のザカリーと暮らしていた。ある日、そのザカリーがソマリ人が利用するモスクに豚の頭を投げ込み、公民権侵害の容疑で逮捕されてしまう。ジムとボブはザカリーを助けるために帰郷する。

「兄貴はどうなの? 医者にかかったりはしてない? あっちで滞在中は、ひどい体たらくだったじゃないか。自分の過去と向き合う援助は要らないのか?」

「要らないね。過去は過去だ。やり直せるものじゃない。それぞれに生きてきたんだ。この際、本音で行こうよ、な? まあ言うなれば――ことさら鉄面皮になるつもりはないとしても――しかし言うなれば、いままでこうだったということで、いまさらどうなんだということさ。おまえ、自分でそんなこと言ってたろう。ここまでたどり着いたんだから、その地点から先へ行くしかない」(pp.320-321)

白人とソマリ人による異文化の摩擦を背景に家族の物語を展開している。家族小説に社会問題を織り込むのは今やアメリカ文学の十八番だろう。管見によると21世紀に入ってからこの傾向が強まっていて、PCの流行と軌を一にしている。多様性、弱者救済、フェミニズム。21世紀のアメリカ文学はどこを切り取ってもリベラルである。

本作の場合はアメリカ同時多発テロ事件の残照が見て取れる。というのも、ソマリ人はイスラム教徒なのだ。アメリカ人はイスラム教徒のことを公然と嫌悪したい。しかし、それはモラルに反しているからできない。おまけに、もしソマリ人に何かしたらヘイトクライムとして裁かれる危険もある。ザカリーの事件はアメリカ社会に燻るフラストレーションを呼び覚ました。と同時に、それはバージェス家の安寧を大きく揺るがすことにもなる。ボブは幼い頃に父親を事故死させたという罪悪感があり、それが原罪となって纏わりついている。また、ジムはジムで誰にも言えない秘密を抱えていた。ザカリーの事件がそんな兄弟を揺り動かす一因となっていて、本作は社会と家族を連動させているところが面白い。

ボブは種無しゆえに妻と上手くいかずに離婚してしまった。別れた妻への思いを今でも引き摺っている。そのうえ、彼は子供の頃に父親を事故死させていた。父親が車の外に出たとき、運転席でクラッチを操作して車を動かしてしまったのだ。それが彼の原罪、あるいはトラウマになっている。バージェス家の中ではボブがもっとも危ういように見えたが……。

と、それが後半に入って覆されるのだ。詳細は省くが、実はバージェス家で一番危ういのはジムだった。有名事件の弁護士として全米に名を轟かせたジム。妻とバカンスを楽しんで順風満帆に見えたジム。バージェス家の長男として頼りがいのあるジムこそが、もっとも脆弱で心に隙間が空いていた。こういったどんでん返しも本作の妙味で、彼が崩れたきっかけがザカリーの事件である。ジムに到来したのは、中年の危機と破滅願望だった。このまま何事もなく人生を歩めば名士として遇されたのに、思わぬことからそれを捨ててしまう。こうなったそもそもの原因に父親の事故死があるわけで、バージェス家に埋め込まれた爆弾が何十年も経って爆発した形になっている。

ソマリ人とバージェス家は他者の視線に晒されているところが共通している。前者はマイノリティゆえに何かと話題になり、後者は有名な一家ゆえに何かと注目される。人間は社会の網の目に取り込まれた存在だからこそ、社会の面倒事から逃れられない。ソマリ人の出来事はソマリ人だけでは収まらないし、バージェス家の出来事もバージェス家だけでは収まらないのだ。このように物事をワイドスクリーンで捉えるところが21世紀における家族小説の特徴だろう。人間は一人では生きられないからこそ文学の題材に事欠かない。

アメリカの家族小説は、徹底的に家族をオミットする日本のライトノベルと対極にある。どちらも連続して読むときついけど、たまに読むのだったら悪くない。