海外文学読書録

書評と感想

ロブ・レターマン『名探偵ピカチュウ』(2019/米)

★★★

保険会社に勤める青年ティム(ジャスティス・スミス)は、11歳のときから疎遠になっていた父ハリーが事故死したことを知らされる。ライムシティにあるハリーの事務所を訪れたティムは、一匹のピカチュウライアン・レイノルズ)と出会うのだった。そのピカチュウはハリーのパートナーであり、なぜか人語を話している。ティムとピカチュウは新米記者のルーシー(キャスリン・ニュートン)と協力し、ハリーが関わっていた事件を調査する。

最初から最後まで王道をやっていていまいち面白味に欠けるのだけど、しかしこれこそが家族向けのエンタメに求められていることで、商業映画としては正しいのだろう。ポケモンというコンテンツをハリウッドの王道にはめ込んで映像化する。本作はピカチュウがモフモフして可愛いところがポイントで、彼の一挙手一投足に目が離せなかった。

父と子の確執を人間とポケモンの関係に移し替え、そこから再生のストーリーに持っていったのは上手かった。通常、人間とポケモンは言葉が通じない。パートナーになっても両者はディスコミュニケーションの状態にあり、人間はよく訓練されたペットに接するような感覚でポケモンと生活することになる。言葉が通じないがゆえに、気持ちを通わせることが重要なのだ。このことはティムとハリーの状況と重なっていて、彼らも親子として長らくディスコミュニケーションの状態にあり、だからこそ気持ちを通わせて関係を修復しようという物語上の圧力が発生する。途中までピカチュウが父の代用みたいな立場でティムと行動するのだけど、特筆すべきはピカチュウが例外的にティムと会話できるところだ。2人は劇を通じて思う存分コミュニケートする。そして、終盤でちょっとした種明かしがされる(ピカチュウの声がおっさん臭いのにも理由があった)。一連の冒険が事件の解決を目指すと同時に親子の和解にも結びついていて、その安定感はさすが王道だと思う。

CGによる映像表現は思ったよりも地味で、ピカチュウの造形以外に心惹かれる部分はなかった。これに比べると、MCUは脳汁ドバドバの派手な映像をふんだんに流していて、あれはあれで価値があったのだと思い知らされる。MCUは脚本が稚拙で見るに堪えないけれど、映像におけるテーマパーク的なサービス精神だけは旺盛だった。商業映画とはかくあるべし、というお手本である。個人的な好き嫌いはともかくとして、あれこそが大衆に受ける映画なのだと理解した。

序盤で人語を話すピカチュウを見たティムが、「人間とポケモンで言葉が通じる。何か意味があるんだ」と独りごちる。奇跡に意味を見出すところがキリスト教的で、本作は良くも悪くもハリウッド映画なのだった。