海外文学読書録

書評と感想

エリザベス・ストラウト『オリーヴ・キタリッジ、ふたたび』(2019)

★★★★

連作短編集。「逮捕」、「産みの苦しみ」、「清掃」、「母のいない子」、「救われる」、「光」、「散歩」、「ペディキュア」、「故郷を離れる」、「詩人」、「南北戦争時代の終わり」、「心臓」、「友人」の13編。

自分は幸せではなかった。オリーヴは急にそう思った。ヘンリーが倒れる以前から、幸せだったとは言えない。そんなことを、この時、この場で、はっきりと認識したのはどうしてか、そこまではわからない。不幸なのだと思うこともなくはないが、いつもなら、一人になっていてそう思う。(p.46)

『オリーヴ・キタリッジの生活』の続編。

以下、各短編について。

「逮捕」。ハーバード大学で教鞭をとり、現在は隠居生活をしているジャック・ケニソンは、7ヶ月前に妻を亡くしていた。そんなある日、車で帰宅途中にパトカーに止められる。当初は愛し合って結婚した夫婦も、ある程度月日が過ぎると綻びが生じる。一生ラブラブのままでいることは不可能なのだ。時に残酷な言葉を投げかけられたり、時に手酷い裏切りを受けたりする。先人たちも結婚について多くの格言を残してきた。そのほとんどは結婚に対して否定的だった。現代人の草食化もむべなるかなと思う。

「産みの苦しみ」。ベビーシャワーに参加したオリーヴ・キタリッジが出産に立ち会う。場所は彼女の車の後部座席だった。その後、オリーヴはジャック・ケニソンの家に行く。結婚して子供を産み、元気な孫までできた。しかしながら、夫婦生活に亀裂が生じたまま夫と死別し、今に至るまで幸福を感じられないでいる。人生のロールモデルに忠実に生きてもそうなのだから、現在の社会で独身者が増えるのも無理はないだろう。人間はどんな風に生きたって不幸なのだ。できることと言えば、似た者同士で寄り添うだけ。そうやって我々は死ぬまでの虚無をやり過ごしていく。

「清掃」。8年生のケイリーがリングローズ先生の家で掃除のバイトをすることになる。ある日、先生の夫に思わぬところを見られてしまった。未成年でありながらもちょっとした浮き沈みがあり、それはピアノに象徴されている。ケイリーは今までやめていたピアノ弾くようになり、しかしまたあっさりやめて、その後ピアノはバイト代ごと売られてしまうのだった。獲得した物質は失ったものの、思い出だけは残っている。若いうちはそうやって逆境を生きていくのだろう。

「母のいない子」。ニューヨークに住む息子夫婦が、孫を連れてオリーヴの家にやってくる。オリーヴは息子にジャック・ケニソンと結婚することを伝える。オリーヴにとって孫のヘンリーは、亡き夫と同じ名前であるがゆえに特別である。その魂が名前と遺伝子に受け継がれている一方、オリーヴは「普通の家庭像」を築けなかったことを後悔していた。ジャックとの結婚は読者にとっても青天の霹靂で、結婚制度とは何なのかと思いを馳せてしまう。ところで、息子がオリーヴに身内の死を告げなかったことについて、息子は「そんなに気にするとは思わなかった」とにべもない。と同時に、オリーヴは息子に「どうして今の嫁と再婚したのか」と質問しかけている。この2つのすれ違いが交差する場面が秀逸だった。

「救われる」。ラーキンの邸宅が全焼し、そこの主人が焼死した。娘のスザンヌが遺産相続のために帰郷し、弁護士のバーニーのもとを訪れる。バーニーはユダヤ人で、父とは長い付き合いだった。予想以上に爽やかな終わり方で驚いた。スザンヌは精神的になかなかきつい状況だったけれど、弁護士に胸の内を率直に打ち明けることで救われる。一方、打ち明けられたほうも同様の状況になる。弁護士が神父みたいに告解を受ける立場になるのは守秘義務があるからで、信仰は形を変えて今も根付いている。告解による正の相互作用が心地いい。

「光」。病気で生きるか死ぬかの瀬戸際にあるシンディが、オリーヴ・キタリッジの訪問を受ける。シンディは中学時代にオリーヴから数学を教わっていた。オリーヴのお節介が嫌味にならないのは年の功だからかな。もちろん、そういう善意だけではなく、彼女は彼女で話し相手が欲しいという自身の欲求を満たしている。オリーヴのがさつさは田舎老人ならではのものだけど、本作ではそれが好ましく思えるのだった。

「散歩」。フランス系のデニー・ペレティエが冬の夜道を散歩する。歩きながら過去のことを思い出す。回想に出てくるドリーと散歩中に出くわす男がラストで撚り合わさる構成がいい。自分より不幸な人間はいくらでもいて、それは外見で分かる場合もあるし分からない場合もある。そして、我々はそういうのを横目に見ながら自分の人生を受け入れていく。幸不幸は主観的なものとはいえ、時に相対化して一喜一憂するのも大切なのだろう。

「ペディキュア」。ジャックとオリーヴが結婚して5年。2人は79歳と78歳になっていた。2人が遠出して食事に行くと、レストランでジャックの元愛人と出くわす。ジャックはその愛人のせいでハーバード大学の職から離れたのだった。この短編集を読んで驚くのは、皆が皆当たり前のように不倫しているところだ。アメリカでは不倫が文化になっているのだろうか。中産階級の不倫というのが戦後アメリカ文学で大きな存在感を得ている。それにしても、ジャックにとって一番大切なのが亡き前妻で、オリーヴと結婚してからも思い出すとは健気だ。男の愛は上書き保存されないのである。

「故郷を離れる」。ニューヨークからジムとヘレン(バージェス夫妻)がメイン州にやってくる。2人はボブとその妻マーガレットと会うのだった。ところが、酒に酔ったヘレンが転んで怪我をする。ジムとボブは兄弟で、2人は幼少期に父を車の事故で亡くしている。その際、車のクラッチを操作していたのは幼いジムだった。しかし、人生のある時期までボブは自分がやったものだと思い込んでおり、ジムに真相を聞かされてアイデンティティを喪失する。負の記憶でもその人のアイデンティティになってしまうなんて、人間の心は随分と歪んでいると思う。そして、ジムとボブが物理的な意味で、また心理的な意味で故郷を離れるのは、アイデンティティの喪失に匹敵する悲しみがある。

「詩人」。オリーヴ・キタリッジは82歳。2人目の夫とは4ヶ月前に死別している。オリーヴが外で食事をしていると、教え子のアンドレアと再会した。アンドレアはアメリカ合衆国桂冠詩人にまでなっている。優れた詩人は「他者になる」方法が優れているようで、要は想像と創造の幸福な結婚なのだろう。しかし、自分が詩作の題材にされたらびっくりするよな。そこに描かれているのは自分のようで実は自分からかけ離れた他者である。持っている情報量の差。どこかしっくりこない。

南北戦争時代の終わり」。夫ファーガスと妻エセルは長く結婚生活を続けてきたがろくに口を聞いていなかった。夫婦は家に境界線を引いて家庭内別居みたいになっている。あるとき、娘のリーサがSMの女王様役でドキュメンタリーに出演することになり……。実はどの家庭も少しずつ歪んでいて、テレビドラマに出てくるような正常な家庭なんて存在しないのだと思う。だから子供がどう育つか心配しても仕方がないし、夫婦関係がどういう在り方になっても嘆くことはない。そういう意味では家庭って性癖に近いのかもしれない。100人の人間がいれば100通りの性癖があるように、家庭もその数だけ異なる歪みが現れている。

「心臓」。オリーヴ・キタリッジが心臓発作で倒れて病院で目覚める。退院後、息子のはからいで老人ホームに入ることに。人間の内面には一貫性なんてなくて、その時々の刺激や環境に応じて心の振れ幅が変わるのだと思う。時に孤独を感じ、時に人を愛す。仮面の内側は不定形で、出力するときに無理やり固定化される。制御できない内面が人間という存在を豊かなものにしている。

「友人」。老人ホームでオリーヴ・キタリッジが入居者のイザベラと親しく語り合う。同時にタイプライターで自分の記憶を書き出す。小さな町に小さな波紋を投げかけてきたオリーヴも、とうとう終活の段階に入ってしまった。老人用のおむつを装着し、他人の介護を受ける生活。しかし、それだけ長く生きても自分が何者なのか分からない。現代人はとにかく何者かになろうと必死だけど、実はその何者という概念が幻想であり、追求するだけ無駄であることが示されている。最後はみんな死んで灰になるだけ。