海外文学読書録

書評と感想

マイケル・グレイシー『グレイテスト・ショーマン』(2017/米)

ニューヨーク。仕立て屋の息子P・T・バーナム(ヒュー・ジャックマン)が良家の令嬢チャリティ(ミシェル・ウィリアムズ)と結婚する。2人の間に娘が生まれるも、仕事は上手くいっていなかった。そこでバーナムは世界中の珍しいものを展示した「バーナム博物館」を開設、そこから派生してフリークスを集めた見世物小屋を始める。興行は大当たりするのだった。その後バーナムは、劇作家のフィリップ・カーライル(ザック・エフロン)を演出家としてスカウトする。

ミュージカルシーンがどれも小洒落たテレビCMみたいで、駄目なミュージカル映画のお手本になっていた。良かったのは最初と最後、テント内でのショーを大人数で撮ったところだけである(音楽がいい)。また、ドラマパートもひたすら退屈で、PCが映画をつまらなくしたのは本当だったと再確認することになった。

つまり、現代で『怪物團』みたいな映画は作れないということだ。そのことは重々承知していたとはいえ、フリークスがここまで脱臭された存在として描かれていたのはショックである。画面に映し出される彼らは全然おどろおどろしくない。漫画のちょっと変わった登場人物といった風情である(みんな『ONE PIECE』【Amazon】に出てきそう)。見世物趣味とはもっと後ろ暗いものであり、木戸銭を払ってこんな連中を見たいとは微塵も思わない。フリークス特有の匂い立つような存在感、怪奇趣味的な胡散臭さ、そういうものが皆無なのだ。フリークショーを「人類の祝祭」と表現するところも笑止千万で、ハリウッド映画はここまで堕落してしまったのかと悲しくなった。

フリークスは通常の社会では日陰者だけど、見世物小屋という舞台ではスターになる。環境によって人の価値は変わるのだ。これは「適材適所」という言葉がしっくりくる。バーナムは障害というマイナスがプラスになる環境を作り上げ、フリークスに働く機会を与えた。興行師のバーナムにとって障害とは個性である。そういう意味では近年の障害者雇用の流れと合致していて、本作がヒットしたのも頷ける。進化的適応環境では生き残れない者たちが主役になる。見世物小屋をそう捉えたのは極めて現代的だと思う。

蔑まれた者たちのプライドを描くところがいかにもPCで、フリークスのそういう一面をミュージカルにしたのにはげんなりした。リベラルに目配せしてる感じが嫌らしい。ディズニー映画はPCでも面白い、というかPCだからこそ新たな視点が生まれて面白いのに、本作はPCにしたせいで対象の魅力が失われている。これならまだ「バリバラ」のほうが革新的だろう。流行だからといって安易にPCに飛びつくと、本作みたいな志の低い映画ができてしまう。人類はPCの先を目指すべきだ。