海外文学読書録

書評と感想

トッド・ブラウニング『怪物團』(1932/米)

怪物圑(字幕版)

怪物圑(字幕版)

  • ウォーレンス・フォード
Amazon

★★★★

サーカス団。小人のハンス(ハリー・アールス)は同じく小人のフリーダ(デイジー・アールス)と婚約していたが、健常者の軽業師クレオパトラ(オルガ・バクラノヴァ)に浮気する。ハンスが財産を持っていると知ったクレオパトラは、怪力男ヘラクレス(ヘンリー・ヴィクター)と共謀してそれを奪おうとする。ハンスとクレオパトラは結婚し……。

一般的には『フリークス』の邦題で流通しているようだ。綾辻行人だったか我孫子武丸だったか、ともかく新本格の小説で言及されていた記憶がある。

本作は究極のバリアフリー映画だった。奇形児を見世物にすることは現代ではタブーになっているようで、小人や小頭症、芋虫人間などのショーは、少なくとも先進国においては行われてない。日本だと障害者プロレスが頑張っているくらいである。奇形児がなぜ見世物になるのかと言ったら、それが世間から隠されているからだ。彼らの姿が日常に溶け込むようになれば、差別も少しは解消されることだろう。だから、こうやって奇形児を題材にした映画を作るのは、健常者の目を慣れさせるという意味で重要なのだと思う。

とはいえ、日本人は乙武洋匡を見て育っているから、奇形児に対しては免疫があるのである。僕は本作を観ようと決めたとき、えげつない奇形児がたくさん出てくるのかとわくわくしていた。僕の価値観を揺さぶってくれるのかと期待していた。ところが、蓋を開けたら意外と普通で拍子抜けだった。乙武洋匡を超える奇形児がいなかったのだ。彼と比肩するのは、せいぜい黒人の芋虫人間くらいである。小人も小頭症もシャム双生児も、可愛くはあっても恐ろしくはない。『不思議の国のアリス』【Amazon】を読んでいるような感覚である。ともあれ、日本の障害者文化における乙武洋匡の功績って、実は思ったよりも大きいのかもしれない。僕は彼を主役にしたフリークス映画が観たいと切に願っている。

奇形児の間でも笑う・笑われるの関係があって、小人のハンスは笑われる側である。小さな差異が実は大きな差異であることを如実に表していて、この辺は健常者の社会と変わらなくて面白い。また、本作では出産シーンがあるのだけど、遺伝で奇形児が産まれるのを喜んでいるあたり、健常者の社会よりも風通しがいいと思う。というのも、ここでは奇形であればあるほど価値が高いのだ。この倒錯した世界観は、『異形の愛』に通じるものがある。

本作はラストのカタストロフが凄まじい。奇形児たちがその異形を剥き出しにして、五体満足の人間に襲いかかるのである。その様相はまるで怪物、まるでホラー映画のようだった。