海外文学読書録

書評と感想

ダリオ・アルジェント『フェノミナ』(1985/伊)

★★

スイス。寄宿学校にジェニファー(ジェニファー・コネリー)という少女が転校してくる。彼女の父は有名な映画俳優だった。ジェニファーは昆虫が好きで、なおかつ昆虫からも好かれる特殊能力を持っている。折しも地元では連続少女殺害事件が起きていた。昆虫学者マクレガー(ドナルド・プレザンス)と知り合ったジェニファーは、自身の能力を駆使して事件を調査する。

BGMが全然合ってないうえにうるさかった。しかも、一部は歌付きである。どういう意図で選曲したのか分からない。とにかく自己主張が強くてしんどかった。

スティーヴン・キングに代表される通り、モダンホラーは主人公が超能力を持っていることが多い。本作もその系譜だ。ジェニファーは昆虫と交信することができる。その能力を使って探偵役をするところはユニークだし、いざというときに助けられるのもお約束である。大抵の人は昆虫が嫌いで、特にハエやウジ虫に対する嫌悪感は半端ないはずだが、それらを敢えて前面に出してくるのがホラーだ。思うに、人の嫌悪感を恐怖にすり替えるのがホラーなのだろう。人間の腐乱死体、ウジ虫のプール、邪悪な奇形児。視覚的におぞましいものが恐怖を形作る。個人的にはこういうのに恐怖を感じないが、作り手が陳腐な方法論に意識的なのが興味深い。ホラーがある種の職人芸で成り立っていることが分かる。

おぞましい描写が見る者に喜びを与える造形美になっている。恐怖を感じるよりも先に好奇心が湧いてくる。こういう映像をどうやって撮ったのだろう、と。人間の腐乱死体、ウジ虫のプール、邪悪な奇形児。それらは恐怖のシンボルであるが、よく見るとどれも素晴らしいオブジェなのだ。映画に出てくる人工物には何らかの美が宿っている。美術として光り輝くものがある。それが証拠にジェニファーが嘔吐するシーンはただただ気持ち悪い。嘔吐は生理であって造形じゃないから。造形こそが人に言い知れぬ快楽を与える。僕にもホラーの勘所が分かってきたかもしれない。

尺の大半は退屈だったものの、終盤で二転三転するところは良かった。駆け寄ってきたモリスの首がすっぱり刎ねられるシーンに悪魔的なユーモアを感じる。また、チンパンジーがおいしいところを持っていくのも意外性があった。彼(?)にとってあれは復讐なのだろう。チンパンジーも仁義を弁えているのか、と感じ入った。

我が子への歪んだ愛が殺人の引き金になる。このような心理がもっともホラーだった。長い年月をかけて熟成された狂気ほど怖いものはない。精神病院を恐怖の震源地として利用したのには賛否両論あるにしても、やはり人の内面には条理を超えた何かがある。人間の腐乱死体も、ウジ虫のプールも、邪悪な奇形児も、所詮は見せかけだけのグロに過ぎないのだ。一見して普通に見える人間こそがもっとも怖いのである。