海外文学読書録

書評と感想

平牧大輔『私に天使が舞い降りた!』(2019)

★★★★

人見知りの大学生・星野みやこ(上田麗奈)には、小学5年生の妹・ひなた(長江里加)がいた。あるとき、ひなたが友達の白崎花(指出毬亜)を家に連れてくる。みやこは花に一目惚れするのだった。さらに、隣家には同じ小学5年生の姫坂乃愛(鬼頭明里)が引っ越してくる。みやこは部屋でコスプレしてポーズをとっているところを乃愛に目撃され……。

原作は椋木ななつの同名漫画【Amazon】。

JD(女子大生)とJS(女子小学生)が交流する様子を楽しむ日常アニメだけど、なかなか扱いに困る作品である。というのも、このJDがほとんど男性おたくみたいな造形なのだ。人見知りで、インドア派で、ロリコンの三重苦。そういう陰キャがJSたちとキャッキャウフフする。これは男性を主人公にしたら色々と角が立つから性別を女性にしたのではないか、と勘繰ってしまうほどだ。一応、お菓子作りと洋裁が得意なところはJDらしい。しかし、家の中で高校時代のジャージを着ているところは男性おたくっぽい。みやこは外出時に着ていく服にも困るほどで、服装に無頓着なところは完全に男性おたくである。これはつまり、本作のみやこは男性おたくの欲望を代行するポジションなのだろう。JDがJSを愛でる。それも複数のJSを愛でる。女性が同じ女性と親密になるのだから見ているほうも背徳感をおぼえる必要がない。可愛い女の子たちが可愛いことをするのを安心して楽しめばいい。そういう言い訳をあらかじめ用意されているようで、最初は違和感がつきまとった。

とはいえ、本作に出てくるJSたちが可愛いことも確かで、一介の視聴者として存分に楽しんだのも事実だ。天真爛漫で姉に懐いているひなた。『ごちうさ』【Amazon】のチノちゃんを連想させる花。「可愛いは正義」をモットーにしている乃愛。画面に映っているのはあくまで記号であり、自分はロリコンなんかでは決してない。背徳感が尾を引きつつも、JDとJSが繰り広げる喜劇を見てにんまりした。

僕が一人前のおたくだったら、「花ちゃん、ブヒイイイイイイ」と鳴きながら画面にしがみついたことだろう。でも、僕はまだそこまで開き直ることができない。代わりにJDのみやこが「ブヒイイイイイイ」と鳴いてくれている。視聴者の欲望を代行してくれている。面白いのは、途中からそんなみやこを相対化するポジションのキャラが出てくるところだ。そいつの名は松本香子。みやこに好意を抱いているストーカーだ。みやこは松本に対して薄気味悪さを感じるのだけど、しかし、実のところこの2人は鏡像関係にあり、みやこは鏡で見た自分を気味悪がっている。この辺が視聴者の背徳感を軽減していて良かった。

子供をイノセントな存在として、「天使」と表現するところは、ヴィクトリア朝に女性を「家庭の天使」と表現したのに似ている。どちらもその時代の理想像であり、我々は理想の女を消費しているのだ。また、本作は萌えアニメらしく男性の影がほとんどない。男性を排除することで男性のための理想郷ができあがっている。人によってはこの構図を問題視するだろう。最近はフェミニスト表現規制をしようと躍起になっている。僕は本作が槍玉にあげられないよう祈るのみである。

ジョン・アップダイク『帰ってきたウサギ』(1971)

★★★★

ペンシルベニア州ブルーアーの郊外。ウサギことハリー・アングストロームは印刷工として働いていた。彼の母は病床にあり、妻のジャニスはギリシャ系のスタヴロスと浮気をしている。折しもアメリカはアポロ計画で宇宙船を月に飛ばし、一方でベトナム戦争の泥沼に陥っていた。レストランでスタヴロスと出くわしたウサギは、リベラルな彼に愛国的な弁舌を振るう。その後、ウサギに浮気を打ち明けたジャニスは家出するのだった。

ジルがたずねる。「なぜ泣いているの?」

「きみはなぜだ?」

「世界があんまり汚れているし、あたしはその一部だからよ」

「もっといい世界があると思うかい?」

「あるはずよ」

「しかし」と彼は考える。「なぜだい?」(1 pp.287-288)

『走れウサギ』の続編。前作から10年後を舞台にしている。

ベトナム戦争や人種差別など、アメリカの同時代を活写した小説で、前作に比べて社会問題への言及が多かった。そもそも何が一番驚いたって、中年になったウサギが政治的に保守化していたところだ。彼は車に国旗のステッカーを貼り、ベトナム反戦運動には憎悪の感情を抱き、国家の悪口を言われるとかっとするような男になっている。ウサギは当時のサイレントマジョリティを体現していた。ここで言うサイレントマジョリティとはすなわちニクソン大統領の支持層で、ブルーカラーの白人保守層のことである。ベトナム戦争では彼らやその子供たちが下級兵士として従軍していた。徴兵されなかったのは裕福な大学生や都市部のホワイトカラー、それに反体制的なヒッピーたちである。ウサギはそいつらのことを売国奴として苦々しく思っていた。ウサギにとってはアメリカこそが唯一の国であり、その「正義」を素朴に信じている。あまりに思想が偏っていてぎょっとするものの、どうやらウサギこそが当時のマジョリティのようで、本作はそんな「普通の人間」を主人公にしたところに意義がある。

ウサギの家にスキーターという黒人の指名手配犯が転がり込んでくる章が面白かった。ここでは奴隷制から続く人種的不平等について多く言及される。ウサギにとってスキーターは、インテリのスタヴロス以上に手強い相手だ。というのも、スキーターは兵士としてベトナムに従軍し、国内では黒人として日々辛酸を舐めている。そういう苦労から生活の知恵みたいなものができあがっていて、彼の言葉には真実を見通すような奥行きが備わっている。その点、スタヴロスは頭でっかちのインテリで、その言葉は上っ面をなぞっているだけだった。ウサギはかつての奴隷制について、「過去は過去」と未来志向の言葉を述べるものの、その理屈は傍から見ていてどこか苦しい。そもそも奴隷制があったから現代の(当時の)公民権運動があるわけで、アメリカの病巣は根深いのだ。本作はベトナム戦争に人種差別と、「普通の人間」の生活に政治問題を持ち込んだところが光っている。

スタヴロスによると、ウサギはなんでもいいから自分を自由にしてくれるような災難を望んでいるという。実際、本作ではいくつか災難が起こっていた。ウサギがベトナム戦争を支持しているのも、おそらくそういった願望の表れだろう。日本ではロスジェネの論客・赤木智弘が、2007年に「31歳、フリーター。希望は戦争」というパワーワードを引っ下げて物議を醸した*1。現代の格差社会では地位が固定化されて下剋上できない。しかし、ひとたび戦争になれば地位が流動化し、非正規雇用の人間でも上に立つことができる。そんな内容の論文である。ウサギが災難を望んでいるのもこれに近いのではないか。「自由の国」は言うほど自由ではないことが分かって暗い気分になった。

*1:『若者を見殺しにする国』【Amazon】所収の論文。

フランシス・フォード・コッポラ『地獄の黙示録 特別完全版』(1979,2001/米)

★★★★

ベトナム戦争。CIAによる要人暗殺に従事してきたウィラード大尉(マーティン・シーン)が、妻と離婚して戦場に帰ってくる。彼は元グリーンベレー隊長のカーツ大佐(マーロン・ブランド)を殺害するよう命じられるのだった。カーツはカンボジアのジャングルで独自の王国を築いて不法活動をしているという。ウィラードは若い兵士たちと哨戒艇に乗り、川を遡って王国へ向かう。

『闇の奥』【Amazon】を翻案した映画。

すべてを緻密に計算して作ったウェルメイドな映画ではなく、持てるアイディアをごった煮的にぶち込んだ甚だ奇怪な映画だった。サーフスポットを確保するためにベトコンの集落を爆撃し、戦闘中に裸の兵士たちがサーフィンをする。かと思えば、ジャングルのど真ん中にライトアップされたステージが登場し、プレイメイトによるショーが行われる。さらに、カーツの王国では土人たちが古代人みたいな格好をして偶像崇拝をしている。常識から逸脱したへんてこなエピソードに溢れていて、これがジャングルの悪夢的光景を表現しているのか、あるいはベトナム戦争の特異性を炙り出しているのか、いずれにせよ、それまでの戦争映画とは明らかに違っていた。

しかしまあ、ベトナム戦争を扱った名作って多かれ少なかれ奇妙だと思う。『フルメタル・ジャケット』【Amazon】はトチ狂った訓練兵が教官を射殺する映画だし、『ディア・ハンター』【Amazon】はトチ狂った兵士がロシアン・ルーレットに傾倒する映画だし……。本作を含めた3作に共通するのは人間の狂気だろう。戦争がもたらす狂気。第二次世界大戦を扱った映画はだいたい娯楽に偏ってるので、このこじらせ具合はなかなか興味深い。

それもこれもベトナム戦争が負け戦だったからだろう。第二次世界大戦は、正義の連合国が悪の枢軸国に勝った勧善懲悪のストーリーだ。子供でも分かるストーリーである。それがベトナム戦争では一転、自分たちが正義であることに確信が持てなくなった。アメリカが主導する世界秩序に裂け目ができてしまった。それを如実に表しているのがフランス人と会食するエピソードで、ここではベトコンの生みの親がアメリカであることを指摘されている。ベトコンは太平洋戦争中、対日戦を有利に進めるために育てられた。つまり、アメリカは自分で巻いた種によって苦しめられているのだ。これは冷戦後のイスラム聖戦士と同じ構造で、もともと味方として利用していたものに手を噛まれている。アメリカの世界戦略のまずさはいつの時代も変わらないようで、そういう国が超大国としてのさばっているのは不思議なことである。

ラスボスのカーツ大佐(マーロン・ブランド)よりも、序盤に出てくるキルゴア中佐(ロバート・デュヴァル)のほうがよっぽど怪人物で、その躁病的な言動には思わず見惚れてしまった。本作のMVPは間違いなく彼だろう。それと、哨戒艇で川を遡るプロットは、『ハックルベリー・フィンの冒険』【Amazon】で川を下っていくのと対応している。つまり、どちらも川に沿って進むことでディープな世界に足を踏み入れていくのだ。『闇の奥』が期せずしてアメリカ文学に繋がるところが面白い。

2019年に読んだ231冊から星5の15冊を紹介

このブログでは原則的に海外文学しか扱ってないが、実は日本文学やノンフィクションも陰でそこそこ読んでおり、それらを読書メーターに登録している。 今回、2019年に読んだすべての本から、最高点(星5)を付けた本をピックアップすることにした。読書の参考にしてもらえれば幸いである。

評価の目安は以下の通り。

  • ★★★★★---超面白い
  • ★★★★---面白い
  • ★★★---普通
  • ★★---厳しい
  • ★---超厳しい

 

19世紀は小説の黄金時代だったが、その精華と言えるのが本作だろう。19世紀大衆小説の頂点である。内容は復讐もので、謀略によって監獄に収監された青年が14年後に脱獄、財宝を手に入れて大金持ちになり、モンテ・クリスト伯を名乗って自分を陥れた者たちに復讐する。本作は文庫本7冊にわたる大長編だが、やたらと構築的なところが特徴で、終盤の復讐劇に向けて着々と段取りを整えている。そして、終盤で解放される面白さときたら筆舌に尽くしがたいほどだ。手の込んだドラマの数々に、元婚約者との運命の再会。物語に大きなうねりがあって、小説を読む快楽が味わえる。

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なお、映画『オールド・ボーイ』【Amazon】は本作に捻りを加えたプロットでとても面白い。本作が気に入ったら観ることをお勧めする。

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鬱病について様々な観点から掘り下げた本で、全米図書賞のノンフィクション部門を受賞している。これは受賞するのも納得の力作だった。まず著者自身が鬱病なのだが、その個人的な体験を起点に、専門家の知見やフィールドワーク、膨大な資料の調査を行っており、基本的な情報から代替療法まで、さらには依存症と自殺の問題から、西洋における鬱病の歴史まで、鬱病に関するトピックを網羅している。鬱病についての本ならまずこれを読めという感じだ。よくこんなに広くて深い内容の本を書けたものだと感心する。鬱病について、これ以上の本は未だに出版されていないのではなかろうか?

実は以下の記事を書くために読んだ本だったが、結果的には思わぬ拾い物だった。

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本作は戦争文学でもあり風刺文学でもあり、その他様々な要素がごった煮的に混じった怪物的小説だった。全5巻の大長編である。特徴的なのが論理的細部への徹底した拘りで、主人公の東堂二等兵は軍隊の不条理な命令に対し、幾度となく軍規を参照してその誤りを明らかにしている。とにかく理屈っぽいところが本作の読みどころだろう。論理的細部を追求する姿勢はもはや執念と言っていい。また、軍隊の慣習から日本の文化まで、インテリならではの考察が目白押しで圧倒される。本作は日本文学の枠組みに収まらない、世界水準の小説を読みたい人にお勧め。

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深作欣二『仁義なき戦い』(1973/日)

★★★

広島県呉市。復員した広能昌三(菅原文太)が闇市で殺人を犯して服役する。刑務所で土居組の若杉寛(梅宮辰夫)と義兄弟になった広能は、出所後、若杉の伝手で山守組に入る。やがて山守組と土居組は敵対関係になるのだった。土居組が落ち目になった後は組長(金子信雄)の代わりに若頭の坂井鉄也(松方弘樹)が台頭し、山守組は内紛状態になる。

原作は飯干晃一のノンフィクション【Amazon】。

やくざ映画は人間関係の映画なのだと思った。組という組織があって、縦の関係や横の関係があって、仲の良い組と仲の悪い組がある。組織を扱っているから当然出てくる人物は多い。それぞれの駒がどういう動きをして、どういう結果を出して、どのように物事が推移していくのか。おそらく相関図を作って人間関係を把握しながら観るのが正しい楽しみ方なのだろう。その点で言えば、本作は『ゴッドファーザー』よりも『ゲーム・オブ・スローンズ』に近いかもしれない。

菅原文太演じる広能は、めちゃくちゃ格好いい面構えをしているのに、やってることと言ったらただの鉄砲玉なのだからずっこける。老獪な組長に利用されるだけの存在だ。終盤までは「お前、タヌキ親父に騙されてるんやで」とツッコミながら見ていた。このジャンルの文脈はよく分からないが、おそらくそういう捨て駒を主人公にしているところが新しいのだろう。なぜ本作が「仁義なき戦い」にまで発展したのかと言えば、上に立つ人間が不義理をしているからで、これは帝王学の教科書になりそうである。アメとムチの使い分けは重要だと思った。

上納金が高すぎて組内で揉めているところは、2015年に起きた山口組の分裂騒動を思い出した。すなわち、司忍率いる六代目山口組から神戸山口組が分裂した事件。その後、神戸山口組から任侠山口組が分裂しているが、これらの原因は上納金が高すぎるからだった。いつの時代もやくざが揉めるポイントは同じなのだなあと微笑ましくなる。結局のところ、上納金とはカタギの世界で言えば税金なので、あまり取りすぎても良くないのだ。適度に搾取するのが上手な支配のやり方である。それを考えると、日本政府は上手く我々を搾取していると思う。消費税が上がっても内閣の支持率はあまり下がらなかったから。日本人には奴隷根性が染みついている。

やくざの世界において「男にしちゃる」というのは殺し文句だ。これを言われたら逆らうことができない。極道は周囲に強い男性性を見せる必要があるから、不本意でも従うしかないのである。見栄というか建前というか、そういう虚像を維持するために行動が制限されるのはさぞかし窮屈だろう。やくざの世界は日本においてもっともジェンダー規範の厳しい世界であり、彼らは彼らなりに生きづらさを抱えている。