海外文学読書録

書評と感想

大西巨人『神聖喜劇』(1978-1980)

神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)

神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)

 

★★★★★

1942年。新聞記者の東堂太郎が補充兵として対馬に招集される。彼は超人的な記憶力と持ち前の論理によって、軍隊内の様々な不条理に抵抗する。東堂は学生時代に社会主義活動の疑いをかけられて逮捕され、九州帝大法学部を中退していた。彼は同年兵の冬木と友情で結ばれる一方、軍曹の大前田に目をつけられる。

「止めて下さい。誰にも許されていません、そんなことをするのは。」

むろん、まるきり私は、そういう事態の発生を予想も予期もしなかったのであったが、私の絶叫とほぼ同時に、さながら山彦のように、もう一つの絶叫が、私の左後方で上がったのである。

「止めて下さい。人のいのちを玩具にするのは、止めて下さい。」(vol.5 p.209)

ハードカバー版で読んだ。引用もそこから。

これはすごかった。風刺文学とか戦争文学とか、本作をひとことで言い表すのはおよそ不可能で、とにかく色々なものが詰まっていてお腹いっぱいになった。これだけ充実した読書が出来るのもなかなかないって感じ。本作には風刺文学や戦争文学の要素は多分にあるけれど、それ以外にも日本人論だったり、文化論だったり、教養小説だったり、ヒューマニズムだったり、推理小説だったり、諸々の要素がごった煮的に混ざっていて一筋縄ではいかない。もちろん、優れた大長編によくあるように、しばしば脱線もする。本作については、ある側面を説明すると別の側面がこぼれ落ちるし、その総体を手際よく説明するのも難しくて、結局どういう内容なのかは実際に読んでもらうしかない。インテリが本気を出して小説を書くとこうなるのかという感じで、一読者としてはとても厄介な小説だった。

特徴的なのが論理的細部への徹底した拘りだろう。たとえば、主人公の東堂は上官の理不尽な言動に対し、幾度となく法規を参照してその間違いを明らかにしている。その結果、部下の軍規無視を咎めている上官が、実は彼自身軍規無視をして咎めているという捻れた構造が浮き彫りになっていて、軍隊の理不尽さの源泉が透視されている。要するに、上官が軍規を正確に理解しないまま慣習的に部下を裁いているわけだ。

この部分で面白いのが、「知りません」禁止、「忘れました」強制の慣習を考察するところで、話があれよあれよと天皇の絶対無責任にまで及ぶのがスリリングだった。そうなのだ。日本人が無責任なのは、天皇が制度的に無責任にされているからなのだ。特に昭和天皇が戦争責任をとらなかったのは象徴的で、だから下々である日本国民も無責任なのである。だって国のトップが無責任なんだものね、そりゃしょうがないよ。というわけで、個人的にこの論考はとても腑に落ちた。

模擬死刑の章で、東堂と冬木が吊し上げを食らっている同年兵を庇う場面は最高に胸熱だった。この小説でこんなにぐっとくるとは予想外だったよ。あと、前述の冬木は特殊部落出身のうえ、傷害致死で執行猶予の身であるため、何かと上官に目をつけられているのだけど、彼の冤罪を晴らそうとシャーロック・ホームズばりに推理を働かせる東堂が格好よかった。冬木は上官から剣𩋡すり替えの犯人と目されていたのだ。この推理部分も論理的細部への徹底した拘りが発揮されていて、ミステリファンを満足させるんじゃないかと思う。

本作は部落差別だったり、軍隊の給料だったり、中世実践武士道と近世理念武士道の違いだったり、とにかく色々な考察が目白押しなので、筋道立った話が好きな人は大いにはまるだろう。面白いのは、超人的な記憶力をもった東堂が無謬ではないところで、最後に些細なミスを犯して足元を掬われたのには驚いた。そういう風に捻ってくるとは思わなかったので……。本作は読みづらいわりに意外とサービス精神が旺盛である。

今の日本の作家ってオタクはいてもインテリはいないから、もう二度とこういう桁外れな小説は書かれないだろう。圧倒的な知の衰退。優秀な人間はもはや小説を書かなくなってしまった。そういうわけで、本作は日本文学最後の本格大長編と言っていいと思う。