海外文学読書録

書評と感想

アーナルデュル・インドリダソン『湿地』(2000)

★★

アイスランド南東部のレイキャヴィク。北の湿地にあるアパートから老人の死体が発見された。現場には犯人が書いたと思しき謎のメモが残されている。さらに犯行は杜撰で、現場には犯人のものと思われる指紋が残っていた。犯罪捜査官のエーレンデュルが事件を捜査する。

ある日、温かいミートスープをすすりながら、エーレンデュルはもし女の子だったら名前を選ばせてくれないかとエヴァ=リンドに訊いた。いっしょに名前を選んでほしいと頼むつもりだった、とエヴァ=リンドは言った。

「それで、なんという名前にしたいの?」と訊く。

エーレンデュルはスープから顔を上げて娘を見た。

「ウイドル。ウイドルという名前がいいね」(p.326)

単行本で読んだ。引用もそこから。

アイスランドのミステリ小説とはどんなものだろう? と思って手をとったのだけど、その国ならではの要素がだいぶ省略されていて拍子抜けだった。せっかくマイナーな国が舞台なのに、そこらの欧米ミステリと変わらない脱臭された作品になっている。作中に出てくる名詞を変えたら、アメリカのミステリと言っても通じるのではなかろうか。これはつまり、どの世界も犯罪や家庭問題は似たりよったりであり、だからこそ細部が重要なのだろう。本作はそれを省略していて残念だった。

作中にしばしば「アイスランドでは~」とか「アイスランド人は~」とか、多様性を否定するような記述が出てくる。調べたらアイスランドの人口は36万人しかいないようで、なるほどこれは国単位で一括にできると納得した。36万人って日本の地方都市よりも人口が少ない。和歌山市民はとか、奈良市民はとか、そういうレベルである。本作には稀な遺伝病が出てくるけれど、これくらいの人口だと想像以上に範囲が絞られる。日本よりも個人の特定が容易であり、本作の書きぶりも相応のものだと思った。

ぱっと見で分かるアイスランドの固有性が、人口と名前くらいしかないのは寂しいところだ。人口については前述の通りだけど、名前についてはこれがかなり独特で、一読して性別が分からないのは盲点だった。たとえば、エーリンボルクが女性の名前だったのには驚いたし、マリオン・ブルームに至っては、作中人物ですら性別を判別できないでいる。こういう不便さをどう捉えるかは人それぞれだろう。僕はマイナー文学を読む醍醐味だと割り切った。

ミステリ小説としてはプロットに捻りがなく、現代ミステリの水準に達していないと思う。ただ、被害者がどうしようもない悪党で、過去をほじくることで哀しみをすくい取る構造になっているのは特筆すべきだ。叙情的な要素がそれなりにあって、ある種の読者を引きつけるようにはなっている。