海外文学読書録

書評と感想

ポール・オースター『ムーン・パレス』(1989)

★★★

ベトナム戦争中のアメリカ。大学生のマーコ・フォッグは幼くして両親を亡くしたあと、伯父によって育てられていた。ところが、その伯父もあの世に旅立ってしまう。マーコは困窮してホームレスに。その後、友人の家に居候し、キティ・ウーという中国系の女性といい関係になる。やがてマーコは、住み込みでトマス・エフィングという車椅子の老人の世話をすることに。エフィングはマーコに自身の秘密を語る。

「金が要るんだったら、働くっきゃないじゃないか。お前ときたら一日中ぼさっと部屋にこもってるだけだ。まるっきり動物園のチンパンジーと同じだぜ。仕事もせんで家賃が払えるわけないだろうが」

「いやいや、仕事はやってるさ。朝が来れば人並みに起きてる。そして、今日一日も生き延びられかどうか、じっくり考えるのさ。これはまさにフルタイムの仕事だよ。コーヒーブレイクもなし、ウィークエンドもなし。健康保険も有給休暇もなし。言いたかないけど、給料もおそろしく安いんだぜ」(pp.57-58)

ハードカバー版で読んだ。引用もそこから。

ニューヨーク三部作【Amazon】がポストモダンっぽい作風だったの対し、その次に発表された本作は一転してモダンな作風になっていた。

何と言ってもこの小説、作中にあり得ないような「偶然」をねじ込んで、読者の見ている景色を一変させるところがいい。フィクションには許せる偶然と許せない偶然があるけれど、本作は前者に分類されると思う。たとえば、ミステリでこういうことをやるとマニアから顰蹙を買うので、この手法は文学の特権と言えるかもしれない。「偶然」は扱いの難しい要素だ。

私生児のマーコが期せずして自分のルーツを知ることなる。本作を読んで、僕はマーコのことを羨ましいと思った。だって、彼は父と祖父、2人の数奇な人生を本人から直接語ってもらえたのだから。僕は定位家族とはほどほどに距離を置いてきたので、祖父母や両親がどういう生い立ちなのかまるで知らない。幼い頃に見せられた写真から、素行が悪いのは何となく察していたものの、彼らの具体的な人生はさっぱり分からないでいる。誰も僕に教えてくれなかったし、僕のほうでも尋ねるようなことはしなかった。幸いなことに、祖母と両親の3人は今も健在なので、訊く気になればいつでも訊ける。けれども、恥ずかしさが先に立って訊く気になれない。たぶん、僕は定位家族のことを何も知らないまま人生を終えるだろう。と、そういう諦念があるので、偶然の導きで自分のルーツを知ったマーコが羨ましいのである。

これは持論だけど、老人は若者に過去を語るべきだ。ワイアット・アープがジョン・フォードに西部のエピソードを語り伝えたように。あるいは原爆被爆者が戦争の悲惨さを学生たちに語り伝えたように。次の世代に記憶のバトンを受け渡す。それは家族間でも同様で、親は子へ、子は孫へ、後世に生きた証を残していく。そういうオーラルヒストリーが、時の重みを個人に刻みつけるのだ。人間の平均寿命はおよそ80歳だけど、自分の人生の終末期に他人の青年期が重なるのは、時間がもたらす奇跡だと思う。本作を読んで、物語ることの重要性を思い知った。

ガブリエル・ガルシア=マルケスの『生きて、語り伝える』【Amazon】を見習って、僕も長生きして自分の若い頃を語り伝えよう。