海外文学読書録

書評と感想

モーシン・ハミッド『コウモリの見た夢』(2007)

コウモリの見た夢

コウモリの見た夢

 

★★★★

パキスタンの古都ラホール。地元の青年チャンゲースが、旅行に来たアメリカ人に自分の半生を語る。アメリカに留学したチャンゲースは名門プリンストン大学を卒業し、ニューヨークの一流コンサルティング会社に就職した。また、プライベートでは作家志望の女性エリカと懇意にしている。順風満帆に見えた人生だったが、アメリカ同時多発テロ事件によって変化を余儀なくされることに。

でも、コウモリたちはここラホールで生き延びました。彼らはあなたや僕と同じく、成功した都市居住者です。人目につかずにすばやく動けるし、群衆の中で狩りを行う狡猾さもあります。ラホールの街の中を悠々と飛び回る彼らの姿に僕は驚嘆しまう。ビルにギリギリまで近づいても、衝突することは絶対にありません。(p.72)

9.11を題材にしたフィクションって、今となってはまあまあ数があるけれど、そのほとんどがアメリカ人に寄り添った視点のもので、本作みたいに第三世界の人から見た作品は珍しいと思う。これは小説も映画も含めてである。だからアメリカの正義に疑義を呈する展開はなかなか新鮮だった。

作中で言及されるコウモリとは、上の引用の通り「成功した都市居住者」のことであり、タイトルになっている「コウモリの見た夢」とは、アメリカン・ドリームのことなのだろう。アメリカン・ドリームを達成するには、アメリカの価値観に染まらないといけない。語り手のチャンゲースもアメリカ社会に順応し、ニューヨークの会社で成功を収めたものの、あることがきっかけで転向する。世界の見方がガラリと変わってしまう。若くしてアメリカン・ドリームを実現したチャンゲースは、それを手放して帰国することになるのだった。

グローバル化がその実、世界のアメリカ化に他ならないのは、僕も日常生活でしみじみ実感している。個人的には文学・映画・音楽と、アメリカ文化を存分に享受している反面、外交問題や経済問題などでやりたい放題されていることには不満を感じている。「テロとの戦い」については対岸の火事として見過ごしているものの、現地の人のことを考えたら胸くそ悪いことは確かだ。自分がアメリカの秩序に組み込まれていることには率直に言って腹が立つ。しかし、それによって中国や北朝鮮、ロシアの脅威から守られているのだから無下にはできない。日本人はこのジレンマを抱えながら生きていくしかないわけで、我々はご主人さまの横暴をのらりくらりとやり過ごすしかないのである。と、そういう事情もあって、アメリカの価値観から決別した本作には、密かに賛嘆の意を表するのだった。

ところで、翻訳家の上岡伸雄は、本作の語りについて次のように述べている*1

第三世界の人々は、西洋人の語りに耳を傾けるように仕向けられてきたわけですが、それが逆になるのです。彼が一方的にしゃべって、アメリカ人が聞く。小説で起こることはすべて、彼を通して枠組みが与えられています。他者の言語に囚われるとはどういうことかの研究。自分から枠組みを与えることで、西洋の枠組みの物語に対応しようとしているのです。そこは素晴らしいですね」(p.147)

英米メジャーによって語られる物語もそれはそれで面白いけれど、この多様な世界を深く味わうには、もっとマイナーな文学に触れるべきなのだろう。今後の読書の方向性について強い示唆を受けたかもしれない。

*1:『テロと文学』【Amazon】。