海外文学読書録

書評と感想

フランツ・カフカ『アメリカ』(1927)

★★★★

16歳でドイツからアメリカに追放されたカール・ロスマンは、ニューヨーク港で火夫の抗議に協力した後、伯父で上院議員のヤーコブに引き取られる。ヤーコブは仲介業を営む富裕層だった。そこで英語の勉強をするロスマン。ある日、ロスマンは伯父の反対を押し切って銀行家ポランダー氏の自宅に招かれる。深夜0時。伯父が書いた追放の手紙を読んだロスマンは当てもなく外に出るのだった。

そこらあたりの女中に誘惑されたあげく、あまつさえ二人の間に子供までできてしまった因果に、十六歳の若い身空ではるばるアメリカ三界へ貧乏な両親の手で厄介ばらいされることになったカール・ロスマンは、いましも汽船が速力を落としてゆるゆるとニューヨークの港へ入って行ったとき、ずっと前から目をそそいでいた自由の女神の像がとつぜん一段とつよくなった日光にまぶしく照らし出されたような気がしたものだ。その剣(原文ママ)をにぎりしめた腕がいまそうされたように高々と振りあげられ、御姿をめぐって自由な微風が吹きわたっていた。(p.4)

執筆は1912年から1914年。現在は『失踪者』というタイトルで流通している。

祖国を追放され、伯父の家を追放された少年が、アメリカで生活基盤を得ようと奮闘する。本作は一見するとビルドゥングスロマンのようでいて、その実ただ状況に流されているだけなのが面白い。伯父の家からは理不尽な理由で追い出されるし、ホテルでエレベーター・ボーイになったら知人が闖入してきてクビになる。ロスマンは他者の介入によって運命が変転していて、自分の意思を貫こうとすると途端に邪魔が入るのだ。職を得て定住する。我々にとっては当たり前のことだけど、移民のロスマンにとっては極めてハードルが高い。社会に溶け込もうとしてもなかなか溶け込めない困難がある。

最初に就いたエレベーター・ボーイは、単調な仕事であるものの12時間労働である。おそらく当時のエレベーターはハンドル式で、映画でよく見る格子状扉の粗末な昇降機だろう。現代人の後知恵からすると、将来的になくなる仕事の筆頭だ。というのも、その後エレベーターは自動化され、エレベーター・ボーイなる職業は跡形もなく消えることになる。そういう事実を知っていると無駄な仕事に見えてしまうけど、しかし、その無駄こそが雇用を生んでいるのだからバカにできない。21世紀には21世紀なりの仕事があり、20世紀には20世紀なりの仕事がある。たとえば現代だって、数十年後に自動運転が普及すればタクシードライバーという職業はなくなるだろう。人間の本質は変わらないのに、何が必要で何が不要なのかはそのときのテクノロジーが決定する。こんな理不尽なことはない。資本制とテクノロジーは密接に関係しているわけで、産業革命時にラッダイト運動が起きたのもむべなるかなである。

アメリカといえばアメリカン・ドリームだけど、ロスマンの夢はとても小さい。彼の夢は、事務員になって開かれた窓から外を眺められる身分になることだった。何の後ろ盾もない少年が抱く等身大の夢といったところだろう。本作はビルドゥングスロマンになりそうでいてそれを裏切り、アメリカン・ドリームを目指すようでいてそれを裏切っている。終始一貫して追放者の物語を展開しているところが琴線に触れるのだ。異国の地では生きていくだけで精一杯。追放者が社会に溶け込むことの困難が伝わってくる。

本作でもっとも印象的なのが、肥満体の貴婦人ブルネルダだ。彼女はドラマルシュをパートナーにし、ロビンソンを召使いにしていた。ドラマルシュもロビンソンも一時期はロスマンと一緒に過ごした知己である。ブルネルダは気まぐれで、ロビンソンやロスマンに横暴な振る舞いをする。しかし、それでもロビンソンは彼女のことを気に入って仕えていた。この場面、ロビンソンが同格だったドラマルシュとの格差を受け入れているところが不思議である。本作は伯父による理不尽な追放といい、ブルネルダを中心とした奇妙な人間関係といい、些細な違和感が病みつきになる。