海外文学読書録

書評と感想

ソール・ベロー『ラヴェルスタイン』(2000)

★★★★

政治哲学の教授エイヴ・ラヴェルスタインは、著書が世界中でベストセラーになった大金持ちだった。彼はユダヤ人であり、男を愛する自称「性倒錯者」でもある。ラヴェルスタインの友人で作家のチックは、彼からメモワールを書くよう依頼される。ラヴェルスタインはHIVの合併症によって死に瀕していた。

我々はふたりとも、フランスに住んだことがあった。フランス人は純粋に教養人だった――あるいは、かつてはそうだった。今世紀に入り、彼らはひどい敗北を味わった。しかしながら、今なお美しいものに対する真の感性、レジャーに対する感性、また読書と会話に対する感性をもっていた、それでいて生き物としてのニーズ――人間としての基本――を軽蔑することはなかった。私はフランス人に対して、この激励の発言を今度もつづけていくつもりだ。(p.62)

一読した印象としては、まるでフィリップ・ロスが書きそうな小説だった。要はユダヤ人を題材にした小説だけど、欧米の人文学や経済学といった専門知を織り交ぜつつ、ホロコーストやその他の歴史的事象に接近していくところはスリリングである。最初はラヴェルスタインの強烈な個性が物語の誘引になっていたから、いまいち掴みどころがなかったんだよね。序盤は様々な哲学者や経済学者に言及したり、懐かしのマイケル・ジャクソンが登場したりで、ここからユダヤ人の話に舵を切るとは予想外だった。アメリカ文学アメリカ国内で閉じているような印象があったけれど、本作はアメリカに足場を置きつつ、ヨーロッパの学問なり文化なりが主体になっている。ユダヤ人とは何かということを考えるには、そこに立ち返る必要があったのだろう。本作が20世紀の最後の年に出版され、さらには著者の遺作になったというのが示唆的で、20世紀の痛ましい問題を総括した小説として興味深かった。

彼がユダヤ思想、即ち、ユダヤの精髄ともいえる小道をたどっていたことが見れ取れた。この頃になると、どんな会話においても、彼がプラトンやトゥキュディデスに言及するのは稀になった。むしろ、今では聖書の言葉で彼は満ちていた。宗教について語り、そして本当の意味で、"人間であること"という困難なプロジェクトについて語り、さらには人間になること、人間にのみなるということについて語った。たまには、理路整然としていることもあった。しかし、ほとんどの場合、彼の言っていることが私にはわからなかった。(pp.232-233)

スティーブン・ピンカー『暴力の人類史』【Amazon】によれば、家庭内から地域、異なる部族や武装集団同士、さらには国家間にいたるまで、さまざまな規模における暴力は、時代が経つにつれて減少しているのだという。ただ、そうは言っても20世紀の大量虐殺についての記憶は生々しく、どうしてあのような殺戮を許したのかという問題が脳裏から離れない。本作では登場人物の誰かが、アメリカのニヒリズムは底が浅いと嘆いていた。しかし、だからこそアメリカはナチス・ドイツみたいにはならなかったのだろう。ヒトラーの指導原理が根深いニヒリズムにあったことはしばしば指摘される通りである。現代のユダヤ人が自身のユダヤ性について考える場合、どうしてもホロコーストの問題は避けては通れないわけで、それゆえにしばしば文学の題材になっている。こういうのを対岸の火事といって切り捨てず、我々にも関係のある普遍的な物事として考えていくのが重要なのだと思う。

訳者あとがきによると、ラヴェルスタインのモデルはアラン・ブルーム、チックのモデルはソール・ベロー、ダヴァール教授(ラヴェルスタインの恩師)のモデルはレオ・シュトラウスだという。一応、ここにメモしておく。