海外文学読書録

書評と感想

シャンタル・アケルマン『アメリカン・ストーリーズ/食事・家族・哲学』(1988/仏=ベルギー)

★★★

ニューヨーク。ポーランドから移住したユダヤ人が入れ代わり立ち代わり画面に現れ自分語りをする。また、合間にショートコントを披露する。最後は野外レストランで多数のユダヤ人が姿を現す。副題の「食事・家族・哲学」はユダヤ式女性の口説き方である。

強いて言えばモキュメンタリーに近い。前半の自分語りはドキュメンタリーっぽい語り口だが、見ていくとフィクションだということが分かる。というのも、ホロコーストの経験を語っているわりに話者の年齢が若いのだ。ホロコーストは40年以上前の出来事だから話者も中高年でないと辻褄が合わない。それを若者が語っているのである。シャンタル・アケルマンはドキュメンタリーも撮っているので、その手法を応用したのだろう。本作は合間にナンセンスなコントを挿入していて実験的な色彩が濃い。いかにもミニシアターで上映してそうな映画である。

多数の人物にナラティブを付与するところは小説っぽい。小説だと人物に厚みを持たせるためによく多彩なエピソードを盛り込んでいる。この方面で天才的な手腕を発揮しているのがスティーヴン・キングだ。彼はたくさんの長大な小説を書き、たくさんの人物を登場させているが、とにかく人物を彩るエピソードが豊富でびっくりする。ある程度モデルはいるのだろうが、それにしたって数百人ぶんのエピソードを用意するのは大変だろう。翻って本作の脚本はシャンタル・アケルマンだ。俳優たちの自分語りはすべて彼女が考えている。ある意味アメリカにおけるユダヤ人の神話を捏造しているわけだが、個々のナラティブから浮かび上がる小宇宙はまるで小説のようだった。

前半の自分語りはほとんどワンシーンをワンカットで撮っていて、この撮影がドキュメンタリーっぽさを演出している。ところが、合間にショートコントを挟んだり、後半に入ってからは演劇をやらせたりで、そのドキュメンタリー性は瓦解する。てっきり同じ調子で最後までやると思っていたので、途中からカラーを変えたのは意外だった。ドキュメンタリー、ショートコント、演劇というグラデーションによって本作は成り立っている。その中で一貫しているのがユダヤ人の神話を語ることで、これがあるからこそ統一感が保たれている。

印象に残っているシーン。無神論者なのにタルムードに幸せを見出している男のエピソード。彼は共産主義者であり、ビックバンで宇宙が誕生したと認識している。ユダヤ教への信仰心はない。にもかかわらず、タルムードに愛着を抱いている。こういった矛盾した心性こそ人間らしいと言えるだろう。我々は一貫した思想なんて持ってないのだ。モーゼに道案内を試みるシーン。誰も彼に道案内できないところが現代のユダヤ人を象徴している。モーゼに道案内できるのは神だけ。人間ごときが道案内できるわけがない。また、人生は道案内なしで切り開かなければならない。預言者だって道に迷うのである。近代に入って神は死んだから誰も道案内できない。混迷するユダヤ人を示唆していてとても皮肉なシーンだ。