海外文学読書録

書評と感想

クエンティン・タランティーノ『デス・プルーフ in グラインドハウス』(2007/米)

★★★★

テキサス州オースティン。ラジオDJのジュリア(シドニー・ターミア・ポワチエ)はシャナ(ジョーダン・ラッド)、アーリーン(ヴァネッサ・フェルリト)、パム(ローズ・マッゴーワン)と友人関係にあった。彼女たちは黒塗りの車に乗った男にストーキングされる。男はスタントマンのマイク(カート・ラッセル)で、カースタントに用いる耐死仕様(デス・プルーフ)の車に乗っていた。

単純な二部構成だが、その構成がめちゃくちゃよく効いていた。タランティーノっておたくのわりに勧善懲悪の物語が好きだし、強い女性を活躍させるし、人種差別とは縁遠いどころか有色人種を愛している。過激な暴力描写とは裏腹に価値観がリベラルでびっくりする。「有害な男らしさ」に染まってない現代的なアメリカ人という感じだ。同じおたくでも映画おたくにはリベラルが多く、アニメおたくには保守が多いような気がする。ともあれ、暴力と良識を両立させるタランティーノのバランス感覚には毎回驚かされる。暴力に溺れないのってすごいことではないか。おたく的な悪ノリを暴走させず良識の範囲に収める。その手腕に感心した。

マイクとゾーイ(ゾーイ・ベル)が日常空間で危険行為に及ぶのはスタントマンの業だろう。我々が遊園地のジェットコースターに乗るような感覚で、2人は車で危険行為をしている。根本的に2人は同類だが、決定的に違うのは他人に危害を加えるかどうかだ。マイクはその点で異常だった。というのも、目をつけた女たちを容赦なく殺しているのである。しかも殺し方が独特で、自らも傷を負う体当たり的なやり方だった。下手したら自分も死ぬかもしれない。そういう自爆攻撃みたいな方法で女を殺している。保安官は彼の行為をセックスの代償と推測していたが、その見解は説得力がある。実際、マイクは女をナンパしてもセックスすることはない。目の前でセクシーダンスをさせるだけで不能を思わせるところがある。彼にとって体当たり的な殺人はエロスとタナトスが極限まで接近する瞬間だ。そこに快楽を感じても不思議ではない。マイクとゾーイはどちらもスタントマンの業を背負っているが、マイクのほうがより病的である。

前半と後半で画面が違うのは、マイクとゾーイの住む世界をひと目で分からせるためだろう。歳を食ったマイクは活躍した時代が古い。だから画像ノイズや音割れのするフィルム的な映像になっている。一方、ゾーイは若くて現役だ。だから今風のデジタル的な映像になっている。前者のアナクロな映像にはこだわりを感じるが、VOD時代の現代人からすると小手先の洒落臭い映像に見える。なぜなら今どきのレトロ映画はリマスターされて傷が修復されているから。最近見た『宇宙戦艦ヤマト』なんてノイズも音割れもなく綺麗なものである。現代においてレトロ感を出すのは反動的であり、だからこそマニエリスム的な様式美に見えてしまう。

本作はゾーイ・ベルのカースタントが凄かったうえ、終わり方もクールだった。危険と暴力には快楽が伴う。そのことを自覚的にやっているところが素晴らしい。