海外文学読書録

書評と感想

ボブ・ペルシケッティ、ピーター・ラムジー、ロドニー・ロスマン『スパイダーマン:スパイダーバース』(2018/米)

★★★

ブルックリン。高校生のマイルス・モラレス(シャメイク・ムーア)が突然変異のクモに噛まれて特殊能力を得る。その後、彼の前でスパイダーマンクリス・パイン)が殺される。殺したのはキングピン(リーヴ・シュレイバー)。キングピンは加速器を作っていた。その加速器によって別宇宙のスパイダーマンたちが集まってくる。来たのはピーター・パーカー(ジェイク・ジョンソン)、スパイダーグウェン(ヘイリー・スタインフェルド)、スパイダーマンノワールニコラス・ケイジ)、ペニー・パーカー(キミコ・グレン)、スパイダー・ハム(ジョン・ムレイニー)の5人。

日本のアニメに慣れていると、アメリカのCGアニメはとてもリッチに見える。手間と金を惜しみなくつぎ込んでいるのが一目瞭然というか。本作はアメコミに寄せていて画面がだいぶ派手になっているが、アニメーションのクオリティはやはり高かった。日本は2Dアニメを極めて、アメリカは3Dアニメを極める。進化の方向性が違っているのはいいことだと思う。そうすることで住み分けができるし、表現の多様性も確保されるから。普段は日本のアニメを見てたまにアメリカのアニメを見る。そうやってバランスを取ることがおたくの正しい態度だろう。多様な表現に触れることは世界の多様性を認めることに繋がる。おたくこそ多様性の擁護者なのだ。

スパイダーマンの面白いところは糸を使ってスウィングするところで、そこは実写版もアニメ版も変わらない。この表現で観客に快楽を与えるには、やはりCGの存在は不可欠だろう。ダイナミックな空間描写はシリーズの醍醐味である。本作は演出がアメコミ風でその点が実写版との大きな違いだった。好き嫌いで言えば実写版のほうが好きだが、アニメ版は実写と日本アニメの中間地点にあり、またそこにはアメコミという補助線を引くこともできる。立ち位置が極めて独特で、やはりこの進化の方向性は注目に値する。実写とは違うし、日本アニメとも違うし、ピクサー系とも違う。アメコミに特化した異形のアニメーションである。そこは大きな発明だと感心するのだった。

本作では序盤でスパイダーマンが死ぬ。『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』ではスーパーマンが死んでいたし、DC映画はヒーローを死なせることが癖になってきている。また、マルチバーステン年代から流行ってきた。昔はパラレルワールドという呼び名で、量子力学は特に関係していなかったと記憶している。マルチバースSF小説ではお馴染みのギミックだが、総花的な映像作品で使うのは近年の傾向だろう。たとえば、日本でも『グリッドマン ユニバース』マルチバースを採用していた。今後クロスオーバー作品ではマルチバースが当たり前になるのかもしれない。

スパイダーマンノワールフィルム・ノワール風に表現され、ペニー・パーカーが日本アニメ風に表現されている。また、スパイダー・ハムはカートゥーン風の表現だった。こうやってキャラごとに違った表現をするところがアニメらしくていい。とはいえ、好き嫌いで言ったらやはり実写版のほうが好きである。実写版は合成技術を駆使した映像の質感が癖になるし、コスプレを含めてみんな作り物なのに手に届きそうなリアリティがあるところがツボだ。また、糸を使ったスウィングも迫力という意味では実写版のほうに軍配が上がる。アニメ版はちょっと主食にできない感じだ。