海外文学読書録

書評と感想

吉田恵輔『神は見返りを求める』(2022/日)

★★★★

イベント会社勤務の田母神(ムロツヨシ)が、合コンで底辺YouTuberのゆりちゃん(岸井ゆきの)と知り合う。田母神は見返りなしでゆりちゃんの動画制作を手伝うようになった。良きパートナーとなった2人だったが、ゆりちゃんが人気YouTuberと知り合うことで関係が破綻する。ゆりちゃんは田母神を敬遠するのだった。

出てくる人間がみんなクズで面白い。

田母神とゆりちゃんの対立は不幸なすれ違いと言えそうだが、それにしたってどちらも豹変ぶりが半端ないだろう。見る人によって田母神に肩入れするか、ゆりちゃんに肩入れするか分かれるところは『花束みたいな恋をした』を連想させる。あちらも麦くんに肩入れするか、絹ちゃんに肩入れするか分かれたものだった。ともあれ、田母神とゆりちゃんの対立は泥沼でどん引きするが、その泥沼でさえも見世物にしようとする根性にアテンション・エコノミーの闇を見た。何でもかんでも見世物にして再生数を稼ぐYouTuberってテレビよりも悪質ではなかろうか。最近では私人逮捕系YouTuberが社会問題になっている。彼らは他人に犯罪しただろうと難癖をつけて取り押さえる動画を上げているが、その裏では恐喝や工作など悪質な犯罪行為が行われていた。動画配信のような趣味活動で収益を得られるようになると、胡乱な人たちが過激な動画をどんどんアップしていく。彼らに欠如しているのはコンプライアンスの意識だ。再生数がすべてのアテンション・エコノミーは驚くほど軽薄で、結果的にはテレビの縮小再生産になっている。ただし、テレビには最低限のコンプライアンスがあるがYouTuberにはそれがない。目立ちたがり屋が目立つために暴走する様子はただただグロテスクである。

田母神とゆりちゃんはある時期から対立するが、背景には人情か契約かの問題がある。田母神からすれば自分は善意から協力したし、自腹で様々な負担をしてきた。今自分が経済的に困っているのだから今度はそちらが助けてほしい。それが人情だろうという気持ちだ。一方、ゆりちゃんからすれば田母神は恩着せがましく見える。最初に見返りはいらないと言ってきたし、収益の分配も断ってきた。である以上、彼は善意の協力者にすぎない。有名YouTuberとコネができ、人気が出た今ではその関係もおしまいだ。なぜなら契約していないのだから。ゆりちゃんからすれば田母神は同じ船に乗っていないのである。人情か契約か。価値観の違いによって深い溝ができている。

どちらが悪いのかと言えばどちらも悪いのだが、より悪いのは田母神のほうだと言える。というのも、ゆりちゃんにとって動画制作は自己実現のための道具であり、人生を賭けてさえいるのだが、田母神のほうは気持ちが軽い。お互いの熱量に差があり、決裂が必至になる前にも価値観のずれは生じていた。ゆりちゃんが再生数に囚われていると気づいた時点で田母神は身を引くべきだったのだ。お笑いコンビがコンビを解消するように、あるいはロックバンドがメンバーを入れ替えるように、人にはそれぞれライフステージに応じた関係がある。田母神はゆりちゃんとの心地いいパートナーシップに甘えていた。それがすべての元凶である。ロマンチストな田母神とリアリストなゆりちゃん。2人は親密なようで実は水と油だった。本気で伸びたいと思っている相手に軽い気持ちで関わる。田母神の善意は罪深い。

本作はアテンション・エコノミーに踊らされる人たちが描かれており、そういう意味でいくぶん啓蒙的である。我々一般人からするとYouTuberはやくざな生き方をしている人たちであり、目立つためなら何でもやるという根性は度し難い。元々YouTuberのことは嫌いだったが、本作を見てますます嫌いになった。特に迷惑系YouTuberは滅んでほしい。大衆の欲望の上で踊っている姿は極めてグロテスクだ。