海外文学読書録

書評と感想

水島努『劇場版「SHIROBAKO」』(2020/日)

★★★

テレビアニメ『第三飛行少女隊』を制作してから4年後。武蔵野アニメーションはある事件が原因で規模を縮小していた。現在は元請け制作をせず、下請け制作しかしていない。そんなある日、オリジナル劇場用アニメの企画が回ってくる。それは曰く付きの案件だった。制作の宮森あおい(木村珠莉)はラインプロデューサーを担当することになる。

SHIROBAKO』【Amazon】の続編。見たのが7年前なのですっかり内容を忘れていたが、冒頭でテレビシリーズのあらすじを紹介してくれたので助かった。

表現手法だけで言えば、アニメは実写の上位互換だと確信した。たとえば、アニメだと現実の中に空想的な表現が出てきても不自然ではない。突然ぬいぐるみが自我を持って話しても絵として違和感がないし、七福神が乗った巨大な船が通り過ぎても画面に馴染んでいる。また、ミュージカルシーンも実写ではできないようなカット割りをしていて刺激がある。前半で歌われた「アニメーションをつくりましょう」はそれゆえに感動的だった。

過剰な記号化についてもアニメだったら許されるところがある。実写は実写であるがゆえにリアリティラインが上がってしまうが、アニメは最初から記号的なのでその心配がない。どんな表現も受け入れる懐の深さがある。敵対する事務所に交渉に行く様子を時代劇の討ち入りで表現するなんて最高にアニメ的だろう(これを実写でやると茶番になる)。今や前衛的な表現はアニメの中にしかなかった。文学、映画、アニメはフィクションの代表的な表現形態であり、今やアニメを見てない人間はお話にならない。アニメを軽んじることは知的態度として怠惰ですらある。

本作はアニメ制作を題材にした青春群像劇になっていて、理想的な仕事のあり方が描かれている。大切なのは作品を完成させること。お客さんに見てもらうこと。閑古鳥が鳴いていた武蔵野アニメーションも劇場用アニメの制作で活気を取り戻す。メインとなるのは各職種(制作、脚本、声優など)に配置された5人の美少女だが、おじさん連中だって負けていない。それぞれが悩み葛藤しながらチームワークで一つの作品を作り上げていく。

特筆すべきは作品に対して妥協しないところだ。公開まで3週間でようやくダビングが終わったものの、ラストが不満でそこだけ作り直す。相当なデスマーチが予想されるが、すべては作品のために、作品を見に来るお客さんのために作り直す。こういった理想を臆面もなく入れてくるのが本作の特徴で、「我々はこうありたいのだ」というアニメ制作者の願望がひしひしと伝わってくる。

アニメ教室で子供たちと触れ合うシーンが印象的で、ここではアニメ制作の原初的な喜びが描かれている。つまり、自分たちの描いた絵が動くということ。アニメーションの喜び、共同制作の喜び、完成品を見たときの喜び。初期衝動が自然と湧き上がっている。クオリティのことを考えないアマチュアリズムではあるが、ものづくりの精神はすべてここに収斂されるのだと思う。

惜しむらくは制作している劇場アニメがつまらなさそうなところで、終盤の劇中劇はひたすら退屈だった。