海外文学読書録

書評と感想

ホウ・シャオシェン『ナイルの娘』(1987/台湾)

★★★

母を亡くしたシャオヤン(ヤン・リン)は夜学に通い、ケンタッキーフライドチキンでバイトしている。兄シャオファン(カオ・ジエ)は仲間とレストランを経営していた。シャオヤンは日本の漫画『ナイルの娘』を読みふけっており、自分をナイルの娘、兄の友人アーサン(ヤン・ファン)をメンフィス王になぞらえている。そんなある日、アーサンがやくざに銃撃された。

日本の漫画『ナイルの娘』は細川智栄子『王家の紋章』【Amazon】のこと。これに象徴される通り、劇中には日本文化が散見される。たとえば、シャオヤンは兄からウォークマンをプレゼントされているし、バイト先のケンタッキーフライドチキンでは日本のポピュラー音楽が流れている。乗っている車はトヨタ車だし、夜の街には東芝の電飾と日本料理屋の看板が映っていた。さらに、アーサンが追われる身になった際は日本への逃亡を検討している。80年代の台湾がここまで日本に近いとは思わなかった。

やたらと夜景が出てくる映画で、登場人物はだいたい夜に行動している。シャオヤンは夜学に通っているし、兄のレストランは夜の盛り場だし、学友たちは海辺でキャンプファイヤーをしている。ディスコが出てくるところは日本のバブル期を思い出した。いつの時代も若者の青春は夜に作られるということだろう。台北の夜は日本人が見てもちょっと懐かしい感じで、昔の都市部はこれくらい質素だったなと思う。同時代の東京と大して変わらないのではなかろうか。シャオヤンの外見も日本の80年代アイドルを彷彿とさせて、少しもっさりしたところに時代を感じる。日本と台湾、やはり距離が近い。

ナイルの娘は古代エジプトで楽しく暮らしているものの孤独である。メンフィス王の命も救えない。それがシャオヤンの現状を象徴していた。つまり、ナイルの娘もシャオヤンも無力なのである。シャオヤンは何も悪くないのに周囲が勝手に沈んでいく。シャオヤンは事態に介入できない。やったこと言えば、頼まれて金を下ろしただけだった。その後は伝聞で身内の不幸を知るのみである。受動的に生きるしかないヒロイン。女の身では暴力から愛する人を救えない。本作はそういうシビアな現実を描いている。

シャオヤンの家のダイニングを手前の部屋から固定カメラで長回ししているシーンが印象的だった。そこで行われているのは登場人物の出入りと会話。祖父がロトの話と家族の愚痴を漏らしているだけだが、カメラワークによって日常を覗き見している感覚が味わえる。また、レストランに警察がガサ入れするシーンも面白い。ガサ入れの様子を外からガラス越しに映している。どこか他人事のような俯瞰的な絵が撮れていた。

父(ツイ・フーション)が息子シャオファンに対して当たりが強いのは、警官という職業も去ることながら、儒教的な価値観に支配されているところが大きい。というのも、かつて妻が死んだときは泣かなかったのに、母が死んだときには泣いたのだ。親孝行は儒教における伝統的な徳目の一つである。父は旧世代の象徴という感じだった。