海外文学読書録

書評と感想

新海誠『天気の子』(2019/日)

天気の子

天気の子

  • 醍醐虎汰朗
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★★★

6月。16歳の森嶋帆高(醍醐虎汰朗)が離島から家出して東京にやってくる。彼は住み込みでオカルトライターのアシスタントをすることになった。そんな帆高がもうすぐ18歳になるという天野陽菜(森七菜)と出会う。折しも東京は異常気象で雨天続きだったが、陽菜は祈ることで晴れ間を出すことができた。2人はその力を使ってビジネスをする。ところが、力には代償があり……。

作画は凄まじく綺麗だったものの、ストーリーは予定調和のセカイ系でいまいちだった。ヒロインか? セカイか? の二択だったら前者を選ぶのが当たり前で、これでは捻りがなさすぎる。お決まりの結論になるのは仕方がないにしても、もっと切実なコンフリクトが欲しかった。東京が水没するなんてどうってことないし。言ってみれば、極めて安全な「危機」である。思うに、セカイ系というジャンルも引き出しが少なくてもはや伝統芸能になりつつあるのではないか。愛好家は様式美を楽しんでいるだけ。くだらない、実にくだらない。セカイ系なんて滅んでしまえばいいのに。

前作『君の名は。』と正反対なことをやっているのは興味深い。『君の名は。』は不可避的な災害からヒロインを救う話だった。それに対して本作は、ヒロインを救うことで永続的な災害を招いている。どちらも災害は東日本大震災を想起させるものだが、わずか3年でその扱い方が変わっているのが面白い。新海誠にとっての優先順位は明白である。セカイよりも何よりもヒロインの存在が優先されるのだ。前向きなエゴの肯定。前作から災害という軸をずらしてその哲学を表現しているところは好感が持てる。

帆高と陽菜にとっての障害はパターナリズムだろう。2人とも未成年だから大人が介入してくる。特に警察は敵だ。「息苦しい」という理由で家出した帆高にとっては、その原因たる秩序の体現者である。警察はこちらの事情も聞かず、一方的に帆高の邪魔をしてくる。法という枠組みに押し込めようとしてくる。まるで分からず屋の父親のような態度だ。帆高はこういったパターナリズムを乗り越えてヒロインを救おうとする。そうすることで活劇が生まれ、セカイの紊乱者としてのポジションを確立する。一連の騒動は反抗期の象徴で、これを経たからこそ大人になれたのだろう。子供っぽいエゴを肯定しつつ、大人になる道筋も示す。そう考えると、本作は意外と悪くない映画に思える。

綺麗な作画によって東京を再現するところに拘りが感じられる。風景はもちろん実在の場所だし、小物についてはマクドナルドやヤフー知恵袋のみならず、月刊ムーまで出てくる。ここまで細部に拘るのだったらもはや実写で撮ったほうがいいのでは、と思える。しかし、実写だとファンタスティックなストーリーと噛み合わないし、何より実写の東京はアニメの東京よりも汚い。アニメによって理想化された東京だからこそ芸術的な価値があるわけで、このリアルな作画はそれだけで眼福である。

陽菜の実年齢についてはそれまでの蓄積を反転させたものになっていて驚きもひとしおだった。またいつもの年上趣味かよ、と思わせてこれである。新海誠って意外とメタ認知能力が高いのではないか。作家性を活かした設定に感心した。

なお、本作には小説版もある。