海外文学読書録

書評と感想

ザック・スナイダー『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(2016/米)

★★★

地球の危機を救ったスーパーマンヘンリー・カヴィル)だったが、その戦いで多くの犠牲者を出してしまう。バットマンベン・アフレック)ことブルース・ウェインも、自社の社員を失ったのだった。人々は神のごとき力を持つスーパーマンを警戒しており、その気運に乗じて大企業の社長レックス・ルーサーJr.(ジェシー・アイゼンバーグ)が悪事を企んでいる。やがてバットマンとスーパーマンが対決するのだった。

『マン・オブ・スティール』の続編。

バットマンとスーパーマンが戦って誰が得をするのだろうと思ったけれど、バットマンが周到に準備してスーパーマンを待ち受けていたのは可笑しかった。超音波装置や機関銃を仕込んでいたのは本気度が高い。殺す気満々である。その後もバットマンが知恵と経験を活かしてスーパーマンを追い詰めていて、「こいつ人間のくせにようやるわ」と感心した。ただ、スーパーマンのほうはとある事情から本気を出していなかったので、残念ながらセメントマッチとは言い難い。本気を出していたらバットマンなんか一瞬で蒸発していただろう。そこは人間VS神の戦いなので、バランス調整に苦慮したことが窺える。

バットマンとスーパーマンはそれぞれ個別にヒーロー活動をしていた。しかし、お互いに相手のことを悪だと認識して憎み合っている。スーパーマンにとってバットマンは法を無視したならず者だし、バットマンにとってスーパーマンは無辜の民を悲劇に巻き込んだ仇敵である。ただ、傍から見たらどっちもどっちで、「君たち好き勝手に自警活動してるやん」と思ってしまう。結局のところ、人間は自分と似た人間が一番嫌いなのだ。争いは同じレベルの者同士でしか発生しない。そういう意味でバットマンとスーパーマンはいいライバルだった。

自警的なヒーロー活動は、どうしても法と対立してしまう。それを解消するには、ヒーローを免許制にするのが一番なのだろう。要は警察や軍隊みたいに、ヒーローの暴力を政府が管理するというわけだ。ルールを作ってその範囲内で活動させる。その点、『ヒロアカ』【Amazon】や『ワンパンマン』【Amazon】といった日本のヒーローものは隙がなくて、このジャンルの正当進化形だと思うのだった。僕の知る限り、アメリカのヒーローは自警的であることに拘りすぎている。もっと社会との折り合いをつけたほうがいいのではないか。ともあれ、日本とアメリカでヒーロー像が違うところが興味深い。

スーパーマンが人類から警戒されているのは、神のごとき力を持っているからである。彼はキリストのような救世主であると同時に、潜在的にはサタンでもあるのだった。ニコス・カザンザキスの小説『キリストはふたたび十字架に』では、もし現代にキリストが復活したら、民衆から迫害されて再び十字架にかけられるだろうと示唆している。つまり、現代社会に救世主などいらないということだ(民主主義社会に超越者はいらない、と言い換えることもできるだろう)。スーパーマンも同じような立場に立たされていて、ヒーローのあり方は難しいものだと考えさせられる。