海外文学読書録

書評と感想

ルキノ・ヴィスコンティ『若者のすべて』(1960/伊=仏)

★★★★

ミラノ。イタリア南部からある家族がやってくる。その家族は未亡人のロザリア・パロンディ(カティナ・パクシヌー)、次男シモーネ(レナート・サルヴァトーリ)、三男ロッコアラン・ドロン)、四男チーロ(マックス・カルティエ)、五男ルーカ(ロッコ・ヴィドラッツィ)。一家は長男ヴィンチェンツォ(スピロス・フォーカス)の婚約を祝いに来ていた。ところが、ロザリアがパーティーの席でトラブルを起こしてしまう。その後、ボクシングを始めたシモーネは娼婦のナディア(アニー・ジラルド)と懇意になるが……。

カラマーゾフの兄弟』【Amazon】を家族主義という観点から翻案したような映画だった。ヴィスコンティは本作の3年前に『白夜』を手掛けていたし、当時はドストエフスキーに関心があったのだろう。僕が見た完全修復版は177分(2時間57分)の長尺だが、無駄なシーンは一切なく、長尺を長尺と感じさせない面白さがあった。これだけ充実した内容なら3時間あっても許せる。久々に重厚な映画を味わった。

本作の柱はシモーネとロッコの関係である。シモーネはボクシングの才能を開花させるも、すぐさま女にはまって堕落した生活を送ることになる。一方、ロッコはそんなシモーネを終始庇い続けている。愚行に愚行を重ねるシモーネがミーチャだとすれば、優等生のロッコはアリョーシャといったところだろう。そんな2人の間にはナディアという女がおり、奇妙な三角関係を形作っている。シモーネがロッコとナディアにした仕打ちはおぞましいが、ロッコはそんなシモーネに同情して彼に尽くしてしまう。特に重症なのが、シモーネのために自分の恋人ナディアを捨てるところだ。心優しいロッコは、ナディアにシモーネとまた恋仲に戻るよう諭している。被害者のナディアを加害者のシモーネと結びつけようなんて気が狂っているが、これも兄弟愛の為せる技だった。麗しい兄弟愛も行き過ぎるとグロテスクである。ロッコは自分の提案がナディアの気持ちを踏みにじっていることに気づかない。ナディアは言ってみれば兄弟間の交換財であり、一人だけ幸福を追求する権利から疎外されている。シモーネとロッコの関係はまるで共依存夫婦のようだ。DVしてくる夫に対し、この人は私がいないと駄目なんだと思い込んで世話を焼いている。そのようなやさしさは本人のためにならないし、何より自分のためにならないのだが、ロッコの兄弟愛は盲目だった。欲望に流されたシモーネと情に流されたロッコ。2人は水と油のようでいて実は同じ穴の狢である。

ロッコがここまで身内に甘いのはイタリア南部の家族主義が原因だろう。その元凶は母親にある。母親は古い価値観の持ち主で、家族は家族のために尽くすべきという考え方をしていた。未亡人の彼女は当初、長男が自分たち(母親と4人の兄弟)を養うべきだと主張している。一人はみんなのために、みんなは一人のために。母親の家族愛は強く、シモーネのようなアウトサイダーを際限なく甘やかしている。そして、ロッコもまた家族主義に囚われている。彼の行き過ぎた献身は母親の影響によるもので、駄目人間を甘やかしてますます駄目人間にしていた。シモーネの暴走は、それを止めなかった母親とロッコにも罪がある。

一家は母子家庭で家父長制が正常に機能していなかった。ここも大きなポイントだろう。父親がいたらガツンとシモーネを矯正していたに違いない。ともあれ、本作は家族主義の闇に焦点を当てた映画である。原題を直訳すると「ロッコと兄弟たち」なので、この邦題はミスリードだ。本作には家族主義の愚かさが詰まっていて迫力がある。これぞイタリアという感じの映画だった。