海外文学読書録

書評と感想

田坂具隆『陽のあたる坂道』(1958/日)

★★★

大学生の倉本たか子(北原三枝)が坂の上にある裕福な田代家に家庭教師として訪問する。次男・信次(石原裕次郎)は画家をしているが、捻くれた性格をしていてわざとたか子の不興を買う。信次の妹・くみ子(芦川いづみ)は女子高生。幼い頃の事故が原因で跛を引いている。長男・雄吉(小高雄二)は医学生で家族のホープだった。くみ子の下宿先には高木民夫(川地民夫)というジャズシンガーが住んでいるが、彼は田代家と縁があるようで……。

原作は石坂洋次郎の同名小説【Amazon】。

209分(3時間29分)の大長編。私生児ゆえに家庭内アウトサイダーになった信次を中心に家族の修復を描き、また2組の兄弟(信次と民夫、雄吉と信次)の和解を描く。石坂洋次郎原作の映画は『あいつと私』も見ているが、こちらもブルジョワ家庭の話だった。それが石坂の持ち味なのだろうか。一方、石原裕次郎のお坊ちゃんぶり、轟夕起子の女傑ぶりも相変わらずで、日活は似たような家庭を似たようなキャストで固めるのが好きだと思う。これが撮影所システムの強みだろう。いつもの料理をいつもの味で出してくる。見ているほうとしては安心感がある。

信次は自分が私生児であることを家族に問い詰め、本当の母親(山根寿子)のところへ会いに行っている。それまで田代家は何事もなかったのに余計な波風を立てているのだ。ところが、この「何事もなかった」というのが曲者で、実は嘘で塗り固めた不自然さによって成り立っていたのである。信次が波風を立てることで家族は本音で語り合うことになった。特に母親のみどり(轟夕起子)は自身の複雑な心境を堂々と告白している。雄吉も信次も自分の息子として育てているが、ある局面では雄吉を贔屓していた。それは兄弟の幼少期。信次が雄吉の罪を被っているのを母親は知っていたのに、それを訂正せず雄吉のケアを優先していたのである。こういうことを言葉に出して語り合うのもなかなかすごいことで、下手したら信次が母親を殴っていただろう。しかし、この一家は上品なので穏便に済んでいる。わだかまりを全部吐き出して関係を再構築している。その集大成である家族会議は終始和やかで圧巻だった。みんなで合唱までしているのだから浮世離れしている。これがブルジョワ家庭かと感心した。

その後、2組の兄弟(信次と民夫、雄吉と信次)の和解も描かれるが、どちらも暴力が介在しているところが興味深い。信次と民夫は取っ組み合いの喧嘩をしたうえで仲良くなっているし、雄吉は信次に自分を殴らせることで罪滅ぼしをしている。男は言葉だけで語り合うのではない。時には拳を用いて語り合う。この肉体言語への信仰は現代のフィクションにも根強く残っているが、今風に言えば「有害な男らしさ」の典型だろう。喧嘩をして和解をして絆を深める。そういうことは確かに小学生の頃にやった。でも、大人になってからもやるのはいかがなものか。いい年して臆面もなく拳で決着をつけているところに疑問をおぼえた。

くみ子と民夫の近親相姦的な友愛関係が危ういが、ある登場人物によると優生学的には大丈夫らしい。いや、父親が同じなのだから駄目だろう。そして、民夫役の川地民夫は本作がデビュー作だが、華々しい歌唱シーンがあって優遇されていた。