海外文学読書録

書評と感想

今村昌平『「エロ事師たち」より 人類学入門』(1966/日)

★★★★★

スブやんこと緒方義元(小沢昭一)は8mmフィルムのポルノ映画制作や老人に女を斡旋するなど、エロ事師の仕事をしていた。彼は未亡人・春(坂本スミ子)と懇ろになり、春の息子・幸一(近藤正臣)と娘・啓子(松田恵子)の面倒を見ている。幸一はマザコンの甘ったれで、恵子も緒方を嫌って反抗的になっていく。一方、緒方の仕事は暴力団や警察に目をつけられ……。

原作は野坂昭如エロ事師たち』【Amazon】。

ミシェル・ウエルベックを泥臭くしたような映画で面白かった。つまり、男の哀れを描いている。

老いも若きも男なら女を欲する。正確には女の体を欲する。健全な男なら女を抱かずにはいられない。男の下半身は性欲に支配されており、ムラムラしたら女の体を貪って射精したいのだ。人生の楽しみは食うことと射精すること。三大欲求こそが我々の根源的な快楽なのである。ところが、みながみな女体にありつけるわけではない。中にはあぶれる者もいる。そんな者のためにポルノ映画があるし、エロ小説があるし、アイコラみたいな合成写真がある。そして、究極のエログッズとして考案されたのがダッチワイフだ。女は男を裏切るが、人形は男を裏切らない。ダッチワイフは男を女から解放すると同時に、女を男の欲望から解放するのだ。エロスの道を突き進み、最終的に悟りを開く。そこが本作の面白さだろう。

人間はスマートには生きられない。金勘定に悩まされるし、欲望にも悩まされる。それは傍から見ると格好悪いし、滑稽である。必死に生きるとはダサいことなのだ。日常を生きる我々ははみな等しくダサいのである。ところがSNS時代になり、自分の生活の格好いい部分だけを切り取って公開する連中が増えた。ナイトプールで自撮りをしたり、純喫茶でクリームソーダの写真を撮ったり、俗物どもがすました顔で自分を取り繕っている。そこに生活の泥臭さはない。醜い承認欲求が垣間見えるとはいえ、基本的には脱臭され漂白された世界である。僕はそういうすまし顔の連中が気に食わない。化けの皮を引っ剥がし、「格好つけるな!」と殴りつけたい衝動に駆られる。インスタ映えなどと気取っているが、お前らは所詮カメムシなのだ。人気のあるところを飛び回り、刺激を与えたら悪臭を放つ。その悪臭こそがお前らの本質である。現代人はSNSで精一杯格好つけているのであり、それは本作で描かれた生の世界とは相容れない。

近親相姦に近い人間関係を描いているところが目につく。春は息子の幸一を甘やかして育てた。その結果、幸一は大学受験の年になっても母親に甘えており、過剰なスキンシップをして観客をどん引きさせている。2人は添い寝したりベタベタ触り合ったり、ほとんど恋人に近い。そのままペニスを挿入しそうな勢いである。また、病気になった春は自分の身代わりに娘の啓子を緒方に差し出そうとしている。啓子は15歳。それを40過ぎたおじさんと結婚させようというのだ。緒方と啓子は義理の親子である。本来だったら保護者と子供の関係に収まるべきだろう。それを結婚させようとするのだから気が狂っている。本作はこのバグった家族関係が異様な臭気を放っていてユニークだ。いかにも生の世界という感じがする。

撮影もなかなか面白くて、近距離と中距離を組み合わせてメリハリをつけている。特に中距離の撮影はどれも外から屋内を映すもので変わり種だ。本来なら聞こえない中の音が変わらずに聞こえている。これぞ映画のマジックだろう。