海外文学読書録

書評と感想

サマセット・モーム『片隅の人生』(1932)

★★★★

眼科のサンダース医師は福州の中国人に人気があった。その彼が中国人富豪の手術のためマレー半島のタカナ島に赴く。手術は成功し、島で退屈していたところ、ニコルズ船長とフレッド青年に出会った。サンダースは彼らの船に乗せてもらう。フレッドはどうやら訳ありのようで……。

「ああ、なんて不幸なんでしょう」少女がようやく口を開いた。

「あまり悲しまれない方がいいですよ」

「あら、悲しんではおりませんよ」

少女の口調に何か断乎たるひびきがあったので、医師はおどろいて眼を見はった。

「あなたはわたしを非難しています。みなさんが非難するでしょう。しかしわたしは自分を非難しません。エリックの自殺はわたしのせいではありません。エリックは自分がつくり上げた理想像に、現実のわたしが遠くおよばないことを知り、そのために自殺したのです」

「なるほど」(p.375)

質の高い人間観察小説といったところ。登場人物はみな矛盾する気質を備えた複雑なキャラクターで、サンダースが彼らと接して評価を下していく。世界の辺境たるアジアは牧歌的な楽園であると同時にヨーロッパから追放された者の集積地で、ニコルズにせよフレッドにせよ、一筋縄ではいかない事情があった。もちろん、中心人物であるサンダースも例外ではない。善人や悪人といった単純な分類に回収されない複雑さが本作の肝である。人物造形は現代文学に比べるとやや図式的で作り物めいているものの、19世紀文学に比べたら格段に精度は上がっている。結果的にはアジアの胡乱な雰囲気が再現されていた。

フレッドの罪はイケメンゆえに女絡みのトラブルを起こすところで、それは流浪の地でも反復される。面白いのはルイーズが自殺したエリックを糾弾するくだりだろう。エリックはありままのルイーズを見ず、自分の理想像に恋をしていたと喝破するのだ。これはなかなか鋭い。男が陥りがちな罠である。僕も昔はこんな感じで、容姿が美しい女は心も美しいと勘違いしていた。おとぎ話に出てくるようなヒロインと重ねていた。しかし、現実は違う。女にも欲望があり、主体性があり、意地汚い心がある。だからうぶな男はその本性を目の当たりにしたとき、裏切られたと感じて失望するのだ。女は華やかな人形ではない。彼女もまた煩悩に塗れた人間である。男にとって女は永遠の謎であり、それまで客体だった女が主体として浮き上がるところに本作の妙味がある。

理想主義者のエリックに対し、サンダースの女性観は冷ややかである。

医師はこれまで女の美しさに感心などしたことがない。だいたい女の体というものは、美学的美を訴えるためではなく、生理学的目的に叶うようにつくられている。テーブルが頑丈で、ほどよい高さで、広々としている方がいいように、女の体も胸が大きくて、腰がはっていて、お尻が大きい方がいい。つまりどちらの場合も、美的価値は有用性のおまけでしかない。(pp.212-213)

そんなサンダースは未婚の中年男性である。これはこれで闇が深い。

キャラクターとして一番魅力的なのがニコルズで、悪党でありながらもどこか愛嬌を感じさせるところは古き良きヨーロッパの血筋といった感じだ。人を騙すのは当たり前、金のためだったら殺すことも厭わない。そんな彼も女房の尻に敷かれているし、信仰心に篤いし、船長として立派な務めを果たしている。善悪二元論に回収されない、むしろ、回収されるのを拒むようなキャラである。胡乱なアジアにぴったりの胡乱な人物だった。