海外文学読書録

書評と感想

リドリー・スコット『テルマ&ルイーズ』(1991/米=英=仏)

テルマ&ルイーズ

テルマ&ルイーズ

  • スーザン・サランドン
Amazon

★★★

アーカンソー州。専業主婦のテルマ(ジーナ・デイヴィス)が親友のルイーズ(スーザン・サランドン)とドライブ旅行に出る。バーに立ち寄った際、男に対して脇の甘いテルマが店の客にレイプされかける。そのときルイーズがレイプ客を銃で射殺するのだった。テルマとルイーズはメキシコに逃げようと車を走らせる。

アメリカン・ニューシネマを女性コンビで再演したということらしい。ハリウッド映画らしく性格劇の要素が強くて見ていて戸惑った。登場人物がそれぞれ特徴的な性格をしており、その性格に応じた行動を取っている。みんなキャラクターの輪郭がはっきりしているのだ。愚かな人間が愚かなことをする。それ自体当たり前のことではあるが、筋書きが各自の性格に寄りかかりすぎていて違和感がある。脇の甘いテルマ、しっかり者のルイーズ、不自然なくらいやさしい刑事。それぞれに操り人形の糸が見えている。2時間の尺に収めないといけないからそうなるのは仕方がないのだろう。とはいえ、この性格劇にはもやもやするものがあって映画というメディアの限界を感じた。

最初に誤った判断をした結果、事態がどんどん悪化していく。ここで面白いのはルイーズ以外の人物が不安要素であることだ。たとえば一緒に逃亡するテルマ。彼女は男に対して脇が甘い。見知らぬ男にレイプされかけたのに、あろうことか通りすがりのヒッチハイカー(ブラッド・ピット)を呼び込んでしまう。こいつは懲りない女なのだ。後にある出来事がきっかけで頼れる女に成長するが、それまではルイーズにとっての不安要素である。そして、テルマが拾った身元の分からないヒッチハイカー。案の定、彼は2人に対して取り返しのつかないことをした。そもそもの原因はテルマにあるが、だからといって彼のやったことは正当化できない。そして、ルイーズの彼氏(マイケル・マドセン)も出張ってきて緊張が漂う。ルイーズとしては誰とも関わらないのが最適解だが、逃走には金が必要だからそうも言ってられないのだ。ルイーズ視点だと周りは不安要素だらけである。隣にテルマがいる時点で無事に逃走できるとは思えない。

アメリカン・ニューシネマの本質は近代国家が構築した支配システムにある。たとえば、人を殺してその場から逃げたとする。そうなったらまず逃げ切ることはできない。警察による捜査網を掻い潜るなんて現代では不可能なのだ。だから悲劇的な結末は不可避である。これが19世紀だったら未開の西部で生き延びられたかもしれない。しかし、20世紀ではすべての土地が開拓され国家の支配が及ぶことになった。もはやならず者になる自由もない。一度反体制側に転落したらじわじわと追い詰められ圧殺されることになる。個人の上に国家が重くのしかかる現実に戦慄を禁じえない。

ハーヴェイ・カイテル演じる刑事がテルマとルイーズにやたらと同情的だったのが意味不明だった。あまりに不自然すぎる。キャラクター造形に失敗していて興醒めだった。