海外文学読書録

書評と感想

ギョーム・アポリネール『若きドン・ジュアンの冒険』(1911)

★★★

夏。13歳のロジェが母親や2人の姉と共に田舎の地所にやってくる。彼らの住居は「お城」と呼ばれていた。ロジェは浴室で女中たちに体を洗ってもらっていたが、ある日、叔母にそうしてもらうことで勃起する。性に目覚めたロジェは姉とおしっこを見せ合い、またオナニーを覚え、挙句の果てには妊婦をレイプする。以降、ロジェはハーレムを作っていくのだった。

今でもしごくはっきりと覚えていることだが、叔母のマルグリットがぼくの陰部を洗ったりこすったりするやいなや、ぼくはなんとも言い表しようのない、奇妙きてれつな、けれどもまたこの上なく気分のいい感覚を味わったものである。ぼくは、自分のオチンチンがにわかに、鉄さながらに硬直し、それまでのようにブランブランとぶら下がる代わりに、かま首をもたげているのに気づいたものだった。すると本能的に、ぼくは叔母に近寄り、できるだけグンと腹をつき出したものである。(p.10)

性の目覚めからハーレムの形成までを描いた性愛小説。エログロ要素満載な『一万一千本の鞭』に比べると穏当な内容だった。

穏当とはいえ、ロジェは妊婦をレイプすることで初体験を済ませているので、そこは現代の価値観だと眉をひそめることになるだろう。ただ、当時は金持ちが下女をレイプするのは当たり前だった。むしろ、それが男の甲斐性だと思われていた節もある。最近、「暴力的な男はモテる」という言説がインセル界隈で流行っているが、その源泉は身分制の強かった時代にまで遡れるのかもしれない。確かに昔の男は暴力で女をものにしていた。男にとって女は戦利品だった。その行動規範が現代で通用するかは疑問であるものの、一方でインセルと呼ばれる人たちは明らかに甲斐性がない。なので、彼ら弱者男性が恋愛工学に吸い寄せられるのも無理はないだろう。「暴力的な男はモテる」。それはフェミニズムによって去勢された男性の最後の悪あがきなのかもしれない。

ロジェが平然と近親相姦しているところにびっくりする。血の繋がった姉や叔母に欲情できる心理とはどういうものだろう? 有史以来、人類のほとんどはインセスト・タブーを内面化してきた。理由は諸説あるが、いずれにせよ、我々は近親相姦に嫌悪感を抱くよう調教されている。無意識のうちに制約を受けている。ところが、たまにそういう制約に縛られない者がいて、平然と近親相姦に及んでいるのだった。無意識の制約から自由でいられるとはどういう精神を有しているのか? 彼らはマイノリティだから社会では異常者扱いされる。しかし、種として欠かせない何かを持った存在だとは推測できる(サイコパス発達障害のように)。今後の研究が待ち望まれる。

本作では愛液の匂いを「卵の匂い」と表現している。これはおそらく硫黄臭のことだろう。硫黄臭がするのは古いタンポンを使っているのが原因である。現代の生理用ナプキンを使っていたらまずこういう匂いはしない。つまり、当時の女性たちは古いタンポンを使っていたというわけだ。本作の記述から昔の生理事情が垣間見えて興味深かった。

クリトリスのことを「ダイヤモンド・ポイント」と表記しているのも面白い。これは原文がそうなのか、それとも翻訳の工夫なのか。現代の翻訳家が訳したらどうなるのか気になるところである。