海外文学読書録

書評と感想

ミゲル・デリーベス『異端者』(1998)

異端者

異端者

 

★★★

1517年のバリャドリッド。裕福な商人の家庭にシプリアーノ・サルセドが産まれる。ところが、まもなく母親が産褥死した。そのせいで父親はシプリアーノを憎み、彼の養育を乳母に任せてネグレクトする。長じてから商人として名を馳せたシプリアーノは、巷を騒がせているルター派の教義に惹かれる。やがて彼はドイツに行って情報収集と禁書の密輸に手を染めることになるが……。

手すりに身体をもたせかけていたベルガー船長がこちらへ向き直って肘をついた。

「ある本が原因で」と言った。「異端審問所が誰かに処罰を下すたびにそれが禁書となってしまう。反キリストの書物とは限らないのだ。たとえば『ロバイナの禁書目録』によると、スペイン語に訳された『聖書』も『新約聖書』も六年前に禁止されている。これは明らかにスペイン大衆は聖書を読んではならぬと言うことだ。」(p.29)

宗教改革の時代を扱った歴史小説。本作を読んで、我々の運命はその時代を支配する虚構に左右されるのだなと絶望的になった。16世紀のヨーロッパだとそれはキリスト教である。ドイツでルターによる宗教改革が始まり、ヨーロッパはカトリックプロテスタントに分裂した。スペインは国をあげてプロテスタントを取り締まり、信仰者を見つけては異端審問にかけて火炙りに処している。現代人からすると、たかが信仰の違いで殺されるのはたまったものではないけれど、しかし、当時は宗教という虚構に人の生死がかかっていた。カトリックにとってプロテスタントは教会権力を脅かすものだったから、徹底的に弾圧しなければならない。こういう歴史的事実を目の当たりにすると、人間社会のルールなんて当てにならないと思う。だって時代が経つにつれてそのルールが変わってしまうのだから。少なくとも、現代のヨーロッパでは信仰の違いで公共機関に裁かれることはない。ただ、国民国家という別の虚構が支配しており、今度はそのルールに従うことを強制されている。結局のところ、我々には選択権がないのだ。自分の生まれた時代と生まれた場所、縦軸と横軸の交差する小世界に縛られている。昔より相対的にマシになったとはいえ、現在のルールだって500年後の人類からしたら野蛮に映ることだろう。そういう巨視的な視野で見ると、国民国家の妥当性に疑問をおぼえてしまう。

シプリアーノのマザーコンプレックスが物語の鍵になっていて、最初から最後までそれに振り回されている。母親を産褥死させた彼は「親殺し」の原罪を背負っており、父親から徹底的に忌み嫌われていた。14歳になったシプリアーノは乳母と寝るのだけど、これは『オイディプス王』【Amazon】の変奏と言えるだろう。ここで彼は擬似的な近親相姦を果たしたのだ。そして、結婚適齢期になってからは大柄な女テオドミーラに惚れてめでたく結婚にまでこぎつける。このとき、シプリアーノの体重が53kgだったのに対し、テオドミーラは80kgだった。テオドミーラの巨体は宮崎駿のアニメに出てくる母権的な女性を彷彿とさせるもので、実際、シプリアーノは彼女に母親の面影を見ている。しかし結婚後、テオドミーラが地雷女であることが判明。たびたびヒステリーを起こすため、シプリアーノは忍耐の日々を送ることになる。結局、テオドミーラは発狂して死んでしまうのだけど、これも実は一種の「親殺し」で、シプリアーノは母親と目した女を殺したのだった。テオドミーラとの間に子供が生まれなかったのも示唆的で、彼は父親という立場にならないまま、擬似的な母親と夫婦生活を送っていたのである。このようにシプリアーノを貫くマザーコンプレックスは深刻で、後の展開と合わせるとすこぶる神話的な人物に思える。

シプリアーノは宗教改革と同じ日、すなわちルターがウィッテンベルクの城塞教会に論題を打ち付けた日(1517年10月31日)に生まれた。言ってみれば宗教改革の申し子である。そんな彼に襲いかかる運命は苛烈で、その人生は見事に時代を体現している。日本ではなかなか読めないタイプの骨太な歴史小説だった。